【6/10(土) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ガラテヤの信徒への手紙 5 章 13 節】
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。
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【愛によって互いに仕える】
神はわたしたちに自由意志を与えました。わたしたちは、自分の心の思うままに行動することが許されています。すべてのことが許されていますが、すべてのことが益になるわけではありません。日々の生活の中で、わたしたちは様々なことを選択し、決断して、人生の歩みを進めていきます。罪を犯す自由があれば、愛によって互いに仕え合う自由があります。わたしたちは、キリストにあって、罪から解放される真の自由を得ました。自分勝手に、自己中心に生きる自由があれば、神と人を大切に思い愛する自由があります。この世の中には、神から離れて生きること、神はいないとして生きていくことが自由なのだと思っている方が多くおられるかもしれません。自分の力で良い行いをし、人を愛し、すべての責任は自分が取る。そのチャレンジは素晴らしいことかもしれませんが、そのことに疲れ、不自由を感じる方がおられるならば、キリストの愛を、キリストにある自由を受け取ってほしいと願います。神に背を向ける罪から解放され、人間関係のしがらみから解放され、神の愛に生きる自由を得ることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【6/9(金) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ローマの信徒への手紙 9 章 5 節】
先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。
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【万物の上に】
神が造られなかった命はない。神の意志に反して、うっかり生まれてきた命は一つもないことを信じています。エデンの園を造られる前から、すべての命が救われるためにイスラエルの民を選び、独り子イエスをこの世にお与えになることを御計画され、十字架の贖いによって救いの御業が成し遂げられたことを信じます。ひとりでも多くの人が救いを受け取り、永遠に神と共に生きることができるよう、今日も働いておられる神、主イエス・キリストが永遠にほめたたえられますように。
神が大切に造られた命の尊厳が失われることがありませんように。悲しみ苦しみ、迷い悩みの中で生きる時に、すべての命の上にあるキリストの愛が豊かに運ばれ、注がれますように。
主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【6/8(木) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
イザヤ書 59 章 21 節】
これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると
主は言われる。
あなたの上にあるわたしの霊
あなたの口においたわたしの言葉は
あなたの口からも、あなたの子孫の口からも
あなたの子孫の子孫の口からも
今も、そしてとこしえに
離れることはない、と主は言われる。
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【離れることはない】
神は、わたしたちの意志を大切にしてくださり、わたしたち一人ひとりと契約を結んでくださるお方です。神はわたしたち一人ひとりを愛するために造り、聖霊を与えられ、御言葉によって養い、育て、護り、いつも伴い寄り添ってくださるお方です。
神は、御言葉である独り子主イエスをお与えになるほどに、この世を愛されています。十字架の贖いによって、その愛を示された神は永遠までわたしたちと共にいると約束してくださいました。この愛を受け取り、この愛に浸され、「離れることはない」という神の御声に包まれながら、この世の旅路を歩むことができますように。日々、御言葉を蓄えて、分かち合い、辛い時、苦しい時、悲しい時を共に乗り越えることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【6/7(水) 祈祷会聖書箇所
マタイによる福音書 10 章 32 ~ 39 節】
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。
人をその父に、
娘を母に、
嫁をしゅうとめに。
こうして、自分の家族の者が敵となる。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
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【祈祷会のお知らせ】
本日、午前10:30~11:30に祈祷会をいたします。
祈祷会情報ページに祈祷課題とショートメッセージを掲載しています。週の半ばに、それぞれの場所でみことばを頂き、心を合わせて祈る時間に用いてくだされば幸いです。
【6/6(火) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
申命記 30 章 11 ~ 14 節】
わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。
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【どんな時にも】
試練の時にも、順調な時にも、喜びの時も、悲しみの時も、主の御言葉がわたしたちのとても近くにあり、わたしたちの口と心にある恵みに感謝します。辛いこと、理不尽なこと、不安になること…さまざまな悩み苦しみが沢山あるこの世で生きていく中で、否定的な言葉、諦めの言葉がついつい口から出てくる…よくあることかと思います。しかし、状況は変わらなくても、わたしたちは神の愛に満ちた御言葉を語り、祈り、励まし合うことができます。その輪の中には神がおられ、集まって語り合う中で、霊に栄養が与えられ、心が元気になることを感じます。どんな時にも、御言葉がわたしたちの口と心にあることを忘れることなく、希望の言葉に耳を傾け合い、語り合っていきたいと願います。どんな時にも、声をかけ合って、支え合いながら、わたしたちの神、主を愛し、主の御声を聞き、主に従い、与えられた命を喜んで生きていくことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【6/5(月) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
創世記 15 章 6 節】
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
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【聖霊によって】
「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。(創世記17:4)」アブラムは99歳になった時に、アブラハムという名前を与えらえました。
主を信じて、義とされ、祝福されたアブラハムですが、本日の聖書箇所の「アブラムは主を信じた。」は、ヘブライ語の原語では、「主によって信じさせられた」となっています。神が与えられる思いを受け取り、神と共に歩むということかと思います。そこには神の霊、聖霊の働きが豊かにあることを覚えます。
「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15:5)
自分の力では到底できないことを、神なら出来るという思いにさせられ、アーメンと従うことは、聖霊によらなければ、とてもできないことだと思います。父と子と聖霊、三位一体の神は、時間と空間を超えて、聖霊として働かれ、今の時代を生きるわたしたちにも豊かに働いてくださることを信じます。神が信じさせてくださる思いを受け取り、神を大切に、人を自分自身のように大切に生きていくことができますように。今日という与えられた一日に、聖霊の導きが豊かにありますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
6/4(日) 主日礼拝 10:40~11:40
【聖書箇所】
使徒言行録5章1~11節
ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。
それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。ペトロは彼女に話しかけた。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と言った。ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。
【6/3(土) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
マルコによる福音書 9 章 20 ~ 24 節】
人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
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【信じます】
なりふり構わず、「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」 と言うことができるのは何と素晴らしい恵みかと思います。「信じる」ことを決断する時、どんな内容かにもよりますが
、悪霊の追い出しや、死人の生き返り、病の癒し…となると、人の目や考え、世間体を気にしたり、もし神の御心でなかったらどうしようというような心配が出てきたり…「信じる者には何でもできる。」という主イエスの御言葉に、「アーメン!」と簡単に言えない…わたしはそのような弱さを持っています。しかし、あれこれ考えてしまう前に、「信仰のないわたしをお助けください。」と主イエスに助けを求めたいと願います。引きつけを起こさせ、ものを言えなくさせる霊を、主イエスの弟子たちは追い出すことができませんでしたが、主イエスは祈りによって追い出されました。神にできないことは何一つない。さまざまな思いに遮られることなくアーメン。信じます。と信仰を告白することができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
【6/2(金) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ヨエル書 3 章 1 ~ 5 節】
その後
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
その日、わたしは
奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。
天と地に、しるしを示す。
それは、血と火と煙の柱である。
主の日、大いなる恐るべき日が来る前に
太陽は闇に、月は血に変わる。
しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。
主が言われたように
シオンの山、エルサレムには逃れ場があり
主が呼ばれる残りの者はそこにいる。
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【すべての人に】
神の霊は、わたしたちに、神の力と特別な賜物を与えてくださいます。その霊が、すべての人に注がれます。太陽が闇に、月が血に変わるほどの天変地異が伴う恐るべき日、神がこの地を裁く定めの日、この世の終わりがどんなに大変な状況であったとしても、御言葉によって、その日が滅びではなく救いのために定められていることを知り、希望を持つことができる幸いを覚えます。
「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。」
み ん な です。everyone!
わたしたちは、たとえ全世界を手に入れても、どれだけ好き勝手に生きたとしても、自分の命を失ったら、何の得があるでしょうか。自分の命を買い戻すことができない、わたしたち人間のために、神がわたしたちの命を買い戻してくださいました。わたしたちを罪から救い、赦し、永遠の命を与えてくださる主の御名を、共に呼び求めましょう。すべての人に霊を注いでくださる神に、すべての人が依り頼み、救いを受け取ることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【6/1(木) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
申命記 30 章 11 ~ 14 節】
わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。
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【御言葉はあなたのごく近くに】
神の御言葉は、わたしたちを脅し滅ぼすためにではなく、神がわたしたちを愛する故に、御言葉によってわたしたちが、お互いを大切に思い合うために、与えられていることを覚えます。すべての戒めは、人間が自由に安全に生きるために与えられていると信じます。御言葉が、わたしたちのごく近くにあり、わたしたちの口と心にある素晴らしい恵みに感謝します。わたしたちに豊かに注がれる神の愛をただ受けとることによって、わたしたちは頂いた愛を流したくなり、お互いを大切に思い合い、神の国で生きることができます。誰かを大切に思う気持ちを行動であらわすことは、強いられてするものではなく、恵みを受けたことを実感して、自然と応答するものだと思います。力ある神の御言葉を今日も頂いて、与えられた一日を、大切に、丁寧に、朗らかに生きることができますように。神の御言葉がわたしたちのごく近くにあるありがたさ、感謝の気持ちを忘れることがありませんように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/31(水) 祈祷会聖書箇所
マタイによる福音書 10 章 26 ~ 31 節】
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
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【祈祷会のお知らせ】
本日、午前10:30~11:30に祈祷会をいたします。祈祷会情報ページに祈祷課題とショートメッセージを掲載しています。週の半ばに、それぞれの場所でみことばを頂き、心を合わせて祈る時間に用いてくだされば幸いです。
【5/30(火) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ルカによる福音書 11 章 1 ~ 2 、 22 章 31 ~ 32 節】
11:1~2
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
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22:31~32
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
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【祈りを教え、また、祈ってくださる主イエス】
主の祈りを教えてくださった主イエスは、わたしたちのために祈ってくださるお方です。たとえ失敗することがあっても、わたしたちの信仰がなくならないよう執り成して祈り、立ち直るまで寄り添ってくださいます。二人または三人が主イエスの御名によって集まるところには、主イエスがおられ、そこに神の御国が豊かにあることを覚えながら、日々、御国が来ますようにと祈りを捧げたいと願います。主イエスの教えそのものであり、主イエスの御言葉と行動のすべてである、将来と希望に満ちた神の御国の中で、主イエスの祈りに支えられながら生きることができる恵みに感謝します。父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/29(月) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ヨハネによる福音書 20 章 19 ~ 23 節】
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
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【聖霊を受けなさい】
主イエスが息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言ってくださるとは何と素晴らしい恵みでしょう。独り子なる神、神御自身であるこのイエスから息を吹き入れられて、新しく創造される幸いを覚えます。わたしたちは、神にいのちを吹き込まれ、人となりました。主イエスの息によって、神は永遠の霊的ないのちを分け与えられ、この世で神の御心に委ね従う思いが与えられることを信じて感謝します。
「あなたがたに平和があるように」
と、真ん中に立ってくださる主イエスの御声を聴き、御顔を慕い求め、聖霊に満たされる喜びに溢れながら、主の道を歩むことができますように。今週も神さまの護りと祝福が豊かにありますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
5月28日 (日)
主日礼拝聖書箇所
ヨハネによる福音書14章16~17節
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
【5/27(土) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
イザヤ書 65 章 17 ~ 25 節】
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。
それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。
わたしは創造する。
見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
その民を喜び楽しむものとして、創造する。
わたしはエルサレムを喜びとし
わたしの民を楽しみとする。
泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
そこには、もはや若死にする者も
年老いて長寿を満たさない者もなくなる。
百歳で死ぬ者は若者とされ
百歳に達しない者は呪われた者とされる。
彼らは家を建てて住み
ぶどうを植えてその実を食べる。
彼らが建てたものに他国人が住むことはなく
彼らが植えたものを
他国人が食べることもない。
わたしの民の一生は木の一生のようになり
わたしに選ばれた者らは
彼らの手の業にまさって長らえる。
彼らは無駄に労することなく
生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。
彼らは、その子孫も共に
主に祝福された者の一族となる。
彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
まだ語りかけている間に、聞き届ける。
狼と小羊は共に草をはみ
獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし
わたしの聖なる山のどこにおいても
害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。
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【新しい天と新しい地】
今日という一日は、主イエスが再びこの地上に来られ、完成される新しい天と新しい地で生きる日につながっています。害することも滅ぼすこともない世界、主の聖なる山がどれほど美しいか…想像するだけで、心が躍る思いがいたします。死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない世界です。死の報酬である罪が付き纏うこの世の中で、安全や平和、平等を作り出していくことは簡単なことではないと思いますが、いつか必ず来るその日に向かって、今日という一日を、丁寧に、大切に、神と共に人と共に生きることができますようにと願います。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍る日を待ち望みつつ…アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての人と共にありますように。
主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/26(金) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
使徒言行録 10 章 9 ~ 33 節】
翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」 すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。
ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか」と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」ペトロは、その人々のところへ降りて行って、「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここへ来られたのですか」と言った。すると、彼らは言った。「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。」それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。
翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。 ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある皮なめし職人シモンの家に泊まっている。』それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」
゚・。.。・゚+゚*。:゚゚・。.。・゚+.゚*。:゚゚・。.。・゚+.*。:゚゚・。.。・゚・。.。・゚+゚*。:゚゚・。.
【どんな人をも】
「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
「神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」
身に染みる御言葉です。神が造られたものはすべて、極めて良いものでした。罪を持つわたしの目には覆いがかけられ、人を色眼鏡で見てしまったり、自分の価値観に合わせて物事を判断したいという誘惑に負けてしまうことがあります。しかし、神はどんな人をも、丁寧に、美しく造られ、尊い命を与えられ、たとえその命がこの世の悪い力によって、どれだけ清くない生き方をしてしまったとしても、大切であることに変わりありません。
昨日起こった4名の方の命が奪われるという痛ましい事件、犯人の命のことを考えながら…完全な愛で愛すること、完全な愛で裁くことは、神にしかできない、神の領域なのだと改めて思いました。
世界中でさまざまな事件が起こり、心が痛みますが、悲しみや不安、恐怖、やるせなさに包まれる所に、神の愛と憐れみ、慰めと平安が豊かに注がれますようにと願います。すべての命が尊ばれ、大切にされる世界になりますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/25(木) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ヤコブの手紙 5 章 7 ~ 20 節】
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。
わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。
あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。
わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。
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【互いのために祈りなさい】
お互いのために祈る大切さを覚えます。苦しみ迷い悩む人生の中で、主の御名で捧げる執り成しの祈りは、大きな力があり、効果をもたらし、神が生きておられるという証しになることを実感しています。昨日の祈祷会で、さまざまなことがあっても、誰かが自分のために祈ってくれている、ひとりではない、一緒に信仰の道を歩む仲間がいる幸いについて話し合いました。ひとりで考え、悩んでいると、だんだんと悪い方へ悪い方へ思いが向いてしまうことがあるかもしれません。心が疲れて、落ち込むときに、わたしのために主の御名で祈りを捧げてくれる人がいることは何と心強いことでしょう。祈りには力があります。何より、わたしたちの主イエスが執り成し祈ってくださっています。2人または3人が主の御名によって集まるところには、主イエスがその中にいてくださいます。互いに不平を言わず、神に留まり、祈り合う恵みを実感しながら生きていくことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/24(水) 祈祷会聖書箇所
マタイによる福音書10章16~25節】
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。
弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
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【祈祷会のお知らせ】
本日、午前10:30~11:30に祈祷会をいたします。祈祷会情報ページに祈祷課題とショートメッセージを掲載しています。週の半ばに、それぞれの場所でみことばを頂き、心を合わせて祈る時間に用いてくだされば幸いです。
【5/23(火) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
コリントの信徒への手紙 二 4 章 16 ~ 18 節】
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
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【見えないものに目を注いで】
目に見えるものを、わざわざ「信じる」とは言わないというお話を聞いて、なるほどと思いました。わたしたちは、この地上に生まれた時から、一日、一日、老化していき、いつかこの身体は目に見えないものとなりますが、見えないものが永遠に存続することを「信じる」信仰の幸いを覚えます。わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていくことを信じて、ワクワクしながら生きていきたいと願います。天地創造の前、目に見えない時から、わたしたちを愛して、キリストにおいて祝福し、神の家族としてくださった恵みに感謝して、今日という一日を大切に丁寧に生きることができますように。目に見えないけれど、わたしたちの内に住み、寄り添い、伴ってくださる聖霊の助けによって、神の御心に歩むことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/22(月) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
コリントの信徒への手紙 一 15 章 53 ~ 58 節】
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
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【勝利を賜る神】
罪の報酬である死は、すべての人に訪れるものです。自分は死んだらどうなるのか、天国と地獄はあるのか、死後の世界はどのようなものであるのか…不安な思いに包まれることもあるかもしれません。しかし、キリストによってわたしたちは勝利を得ました。十字架の上で肉体的な死を経験された主イエスは、墓に葬られましたが、三日目に死人のうちよりよみがえり、復活されました。
「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。」(ヘブライ人への手紙9:27~28)
主よ来てください。この世の旅路を終えた後に、迎え入れてくださるキリストによって、勝利を賜る神に感謝の祈りを捧げます。肉体が滅んだ後に、霊と魂が喜びと幸せに満ちた場所で神と共に人と共に生きる救いの喜びが、キリストを信じる信仰が豊かに祝福されますように。主に結ばれて、主の業に常に励むことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
5/21(日) 主日礼拝 10:40~11:40
【聖書箇所】
箴言30章8節
むなしいもの、偽りの言葉を
わたしから遠ざけてください。
貧しくもせず、金持ちにもせず
わたしのために定められたパンで
わたしを養ってください。
【5/20(土) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
申命記 5 章 17 ~ 21 節】
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。」
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【神の愛の中で】
神がわたしたちに「~してはならない」と仰るとき、いつも、わたしたちを護るためだという神の愛を感じます。神の愛の中で、神と共に生き、神の恵みを感謝するなら…殺さない、盗まない、自分の分を超えて欲しがらない…平和な世の中になることだろうと思います。しかし、悪い力に支配されるこの世の中で、人間は神によって自由な意思を与えられ、神はいないという背きの罪に留まったり、神を自分にとって都合の良い存在に造り上げたり、いつの時代にも争い、差別、搾取、さまざまに大切な命が尊ばれない現実があります。しかし、十字架で愛を示された神は、わたしたちを諦めることはされません。一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、わたしたち人間のために忍耐しておられる神の愛に依り頼みつつ、主イエスが再び来られる日を待ち望みたいと願います。主よ、来てください。御自身を犠牲にしてまで、わたしたち人間を救いたいと思い、その独り子をお与えになったほどに世を愛された、神の愛を、この世界に生きる一人ひとりが実感することができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/19(金) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ガラテヤの信徒への手紙 1 章 11 ~ 24 節】
兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。
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【神の恵みによって】
キリスト教会を徹底的に迫害し、滅ぼそうとしていたパウロが、神によって根本的に変えられ、「当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている者」と認識されるようになりました。パウロは、キリスト教会の容赦ない迫害者であった過去が、自分の力ではなく、神の恵みによってのみ使徒へと召し出され変えられたことを強調します。ギリシア語が堪能で異邦人に福音を宣べ伝えることができ、律法にも精通していて、ローマの市民権に守られ広域の宣教活動ができるパウロという使徒を、神は、パウロが母の胎内にあるときから、御計画をもって導かれたことを覚えます。使徒言行録の最後に、パウロが自費で借りた家に丸二年住んで、訪問する人を誰かれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けたことが記されています。神の恵みが、わたしたちのあり方を新しくし、神に仕え、人に仕える者へと変えてくださることを心に刻み、神の招きに喜んで応えていくことができますように。神の祝福がわたしたちの上に豊かにありますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/18(木) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ヤコブの手紙 5 章 7 ~ 20 節】
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。
わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。
あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。
わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。
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【神に留まる】
農夫が、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つことを思うと、忍耐とは信じて待つこと、農夫であることを止めずにその場に留まることだと感じます。クリスチャン人生の中で、干ばつの日もあれば嵐の日もあることかと思います。その時に神の御手の中にあることを信頼して、神に留まりたいと願います。
「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」
宇美教会の2023年度の聖書のことばに選ばれた箇所です。
苦しんでいる人と共に祈り、喜んでいる人と共に賛美の歌を歌うことができますように。十字架で示された愛に包まれて、いつどんなときにも変わることのない、正しい神の道を歩むことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/17(水) 祈祷会聖書箇所
マタイによる福音書10章5~15節】
イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」
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【祈祷会のお知らせ】
本日、午前10:30~11:30に祈祷会をいたします。祈祷会情報ページに祈祷課題とショートメッセージを掲載しています。週の半ばに、それぞれの場所でみことばを頂き、心を合わせて祈る時間に用いてくだされば幸いです。
【5/16(火) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ヨハネによる福音書 8 章 31 ~ 36 節】
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
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【キリストにある自由】
キリストがわたしたちを自由にするならば、わたしたちは本当に自由になります。今までだれかの奴隷になったことはないし、自分は自由に生きている!と思っていたとしても、時間やお金、名誉など、気づかない内に様々なものに縛られて、自分で自分を不自由にしていることに気づかない時さえあるかもしれません。神を信じない、宗教を持たないから自由だと思っていても、その概念の奴隷になっていることがあるかもしれません。しかし、わたしたちは、主イエスの十字架の贖いによって、わたしたちを奴隷として従わせようとする罪から解放されました。いそがしい現代社会で、わたしたちは、「何をするか、何をしないか」を選択しながら生きています。日々の生活の中で、いつどんなときにも変わることのない、正しい道、真実の道理である主イエスと共に生きる恵みを見失わずに、キリストにある自由を活き活きと生きたいと願います。主イエスの御言葉にとどまりつづけ、祝福された自由の中で、喜んで生きることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/15(月) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
コリントの信徒への手紙 二 4 章 7 ~ 15 節】
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
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【偉大な力は神のもの】
「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。このような素晴らしい宝が、わたしたちの中に納められているとは何と驚くばかりの恵みでしょうか。輝き光る栄光は神のものです。偉大な力は神のものであって、わたしたちから出たものでないこと、すべてのものは神のものであって、わたしたちのものではないことをよく知ることから平和が始まる。最近そのようなことをよく考えます。わたしたちのものでない栄光を神から託されているのは、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためであることを覚えます。神の恵みを分かち合っていくことが平和へとつながることを信じ、たとえ、欠けがあろうと、ヒビがあろうと、神の愛と祝福が溢れ流れる土の器が、神の栄光のために豊かに用いられますようにと願います。今日、与えられている命を、キリストの輝く光に照らされて、精一杯生きることができますように。命に感謝することによって、神に栄光をお帰しすることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
5/14(日) 主日礼拝 10:40~11:40
【聖書箇所】
エフェソの信徒への手紙1章3~5節
わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
【5/13(土) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
コロサイの信徒への手紙 2 章 6 ~ 15 節】
あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。
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【キリストにおいて満たされて】
キリストにおいて満たされて、あふれるばかりに感謝することができる人生の幸いを覚えます。昨日、宇美教会員のN姉の告別式が執り行われました。主イエスの執り成しの祈り、そして、神の家族の祈りに支えられ、神の祝福の内にお見送りできたことを心から感謝しています。罪の中にいて死んでいたわたしたちの一切の罪が、主イエスの十字架の贖いによって赦され、永遠の命が与えられた恵みを思い、途方に暮れるほどの祝福の内に、今、キリストと共に生かされていることを、あふれるばかりに感謝しています。この世を支配する悪い力に惑わされることなく、死にさえ勝利されたキリストにおいて満たされる、神の祝福の内に歩む人生を送ることができますように。バプテスマによって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられた喜びを、一人でも多くの方と共に分かち合うことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/12(金) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ガラテヤ書 3 章 26 ~ 29 節】
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
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【約束による相続人】
本日、午前11時より、宇美教会にてN姉の告別式が執り行われます。身寄りがなく、お住まいも福岡市内だったN姉が、神の御業によって、粕屋郡にある宇美教会へと招かれ、バプテスマを受け、そして、宇美教会の近くの病院に長年入院され、こうして本日、宇美教会からお見送りができることに、神のお導きを感じています。信仰により、キリスト・イエスに結ばれた神の子であるN姉の人生を護り導き、約束による相続人としてくださった神の恵みに心から感謝の祈りを捧げます。この地上で、N姉にお会いすることはできなくなってしまいましたが、残されたわたしたちが、この世の旅路を一緒に歩む仲間と共に、復活の主の命に与る希望を持ちながら、祈り合い、慰め合い、励まし合い、そして、いつかN姉と天国で会える日を楽しみに生きていくことができますように。そのわたしたちの姿が主イエス・キリストの栄光となり、神が今も生きて働いておられることの証しとなりますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/11(木) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
マルコによる福音書 1 章 9 ~ 11 節】
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
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【神が愛する御子キリスト・イエスに結ばれて】
主イエスがバプテスマを受けられた後に、聖霊が主イエス御自身のところに降って来られました。神の声は、主イエスが神の子であることを明らかにしています。神の子が人間のために人間の姿でこの地上に来てくださいました。そして、何の罪も持たれないのに、罪びとの立場に立って、わたしたちの罪を贖うために十字架にかかってくださいました。そして死に打ち勝ち復活されました。
わたしたちは、神が愛する御子キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けます。バプテスマを受けたわたしたちは、キリストの死にあずかり、キリストと共に葬られ、そして、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、新しい命に生きます。罪から解放され、キリストと共に生きる命の恵みに感謝します。主イエスが再び、この地上に来られ、新しい天と新しい地が完成され、復活の体を頂く希望の内に、この世の旅路を歩むことができますように。もはや死もなく、悲しみも嘆きも労苦もない天国で、愛する人びととの再会を楽しみにしながら、一日一日を大切に生きていくことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/10(水) 祈祷会聖書箇所
マタイによる福音書5章4節】
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
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【祈祷会のお知らせ】
本日、午前10:30~11:30に祈祷会をいたします。祈祷会情報ページに祈祷課題とショートメッセージを掲載しています。週の半ばに、それぞれの場所でみことばを頂き、心を合わせて祈る時間に用いてくだされば幸いです。
【5/9(火) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
コリントの信徒への手紙 一 13 章 4 ~ 13 節】
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
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【祈りのリクエスト】
今朝、宇美教会員のN姉が天に召されました。身寄りのない方で、長く入院されており、ここ数年は教会の礼拝に出席できない状態が続いていました。記憶も曖昧になっておられましたが、面会に行ってお祈りするとアーメンと仰っていました。N姉が主の御許で安らぎ憩いの時を過ごせますよう心合わせてお祈り頂けたら幸いです。信仰と、希望と、愛は、いつまでも残るという御言葉に感謝します。その中で最も大いなる愛に包まれて、N姉との地上でのお別れの時に、主の憐れみが豊かにありますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
鮮やかな色がお好きで、赤い洋服がよく似合われていたN姉を思いつつ・・・S姉が撮ってくださった赤いバラの写真を添えて。
【5/8(月) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
エレミヤ書 29 章 10 ~ 14 節】
主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。
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【将来と希望を与える神のご計画】
将来と希望を与える神の平和の計画が成就されるためには、わたしたちが神を呼び、祈り求めることが必要です。神を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして神を求めるなら、神に出会い、解放されるという約束が与えられています。壊れかけている世界が修復され、苦難から解放されるためには時間がかかるかもしれません。しかし、それは神の問題ではなく、わたしたち人間が悔い改め、神の方へと向きを変えて進むまでに時間がかかるからだと思います。さまざまに迷い悩むわたしたちに、寄り添い、伴ってくださる主イエスを見失わず、今日という一日に、神の御言葉を慕い求めて祈る。その祈りが繋がっていくところに、祝福に満ちた将来と希望があることを信じます。厳しい現実と祝福の未来を一つに結ぶことは簡単ではないと思いますが、神がわたしたちのために立ててくださっている平和の計画の道を歩むことができますようにと願います。神のご計画を求めながら立てる、わたしたち一人ひとりの人生の計画が祝福されますように。将来と希望を豊かに受け取ることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
5/7(日) 主日礼拝 10:40~11:40
【聖書箇所】
コリントの信徒への手紙一 13章4~9節
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
【5/6(土) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
マタイによる福音書 11 章 25 ~ 30 節】
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
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【だれでもわたしのもとに来なさい】
軛は牛や馬など家畜が鋤や四輪車を引けるように、首にかけられる木製の棒や枠のことで、「軛」は服従やつらい仕事の象徴とされています。目に見えない神が本当に存在しているのだろうかと迷い悩み…探し求めても見つからず…疲れてしまうこともあるかもしれません。しかし、人生における難題に直面し、多くの責任に打ちひしがれる時に、主イエスは既にその軛を担ってくださっています。主イエスはわたしたちの人生の重荷を取り除くのではなく、招き、休息を与え、一緒に担いで、一緒に歩いてくださるお方です。「だれでもわたしのもとに来なさい。」という主イエスの御声に従い、集められたキリストの体、教会という共同体が、共に主イエスから学び、共に安息を得て、祈り合いながら、励まし合いながら歩んでいくことができますように。ひとりで重い荷物を抱え込まずに、人と人との間にある神の国の中で、神と共に、人と共に生きる人生が豊かに祝福されますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
※※本日、金曜集会と金曜英会話はお休みです※※
集会はありませんが、教会は10:00~16:00開いています。
ご自由にお立ち寄りください。
【5/5(金) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
コリントの信徒への手紙 一 13 章 1 ~ 11 節】
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
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【キリストの愛によって】
愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。愛は自慢せず、
高慢になりません。礼儀に反することを
せず、自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、不正を喜ばずに
真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
バプテスマを受けて間もない頃、4節から、新改訳聖書で暗唱したことがありますが、繰り返し口ずさむ度に、わたしにはとても無理だと思った記憶があります。この愛がなければ、無に等しく、何の益もない・・・しかし、わたしはこの愛を持っていない。それどころか、神に背く罪を持つわたしの身代わりとなって、キリストが、すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍んで十字架にかかってくださったことを覚えます。神の愛は決して滅びることがありません。今日も神が天の窓を開き、愛を豊かに注いでくださっていることに感謝しつつ…神の愛に包まれて、また心に注がれた神の愛によって、誰かを大切に、自分を大切に生きることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/4(木) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
使徒言行録 15 章 1 ~ 11 節】
ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。
そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」
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【主イエスの恵みによって】
一般に宗教とは、超自然的な力や存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度であり、「~しなければ救われない」という概念があるかと思います。そういう意味でいくと、「主イエスの恵みによって救われる」という信仰は、宗教ではないのかもしれません。神さまによって大切に造られた存在だからこそ、価値があって、わたしたちは既に赦され、救われていることを覚えます。主イエスの十字架の贖いによって、罪赦された恵みを深く知れば知るほど、神のために人のために何かしたくなる。感謝の気持ちを行動化したくなる恩返しという感じでしょうか。そのような気持ちにさせられます。「恩返しとは愛を与えること」という言葉を聞いたことがありますが、恩返しは強制されてするものではなく、愛を受けると愛を返したくなる自然な現象のように思います。神から無償で頂いた愛を、惜しみなく分かち合いたいと願います。主イエスの恵みによって救われた喜びを、ひとりでも多くの方と共感し感謝することができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
※※本日は祈祷会はお休みです※※
祈祷会は休会ですが、教会は10:00~16:00開いています。
ご自由にお立ち寄りください。
ちなみに、本日10:30~宇美教会キッチンにて、マーマレードジャム作りがあります。
興味がおありの方はピーラー1本持参でご参加ください。
参加費無料です😋🍊✨
【5/3(水) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
マルコによる福音書 5 章 1 ~ 20 節】
一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。
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【すべては主の恵み】
当時、豚は律法によって汚れた動物とされており、この地域で多くの豚が飼育されていたということは、異邦人が多く住んでいたということかと思います。そして、その地方の人々が、人の命や尊厳よりも、また悪霊の仕業がなくなるよりも、商売の方を大切にする人たちであったことが窺えます。主の御業が町中に知らされましたが、彼らは二人の人の解放を喜ぶよりも、商売が成り立たなくなることを案じて、主イエスに出て行ってもらうよう願いました。自分たちの生活の変化を恐れて、神に介入してほしくないと思う身勝手さは誰もが持っているものかもしれません。しかし、すべては神のものであり、人間を守り生かすための恵みであることを忘れたくないと願います。主がわたしたち一人ひとりをどれほど大切に思い、十字架にかかられたかを思い巡らしながら…苦しんでいる人びとのために喜んで手放す者とされますように。神から管理を任されている、この地球を大切に生きていくことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/2(火) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
使徒言行録 13 章 33 ~ 42 節】
つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、
『あなたはわたしの子、
わたしは今日あなたを産んだ』
と書いてあるとおりです。また、イエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては、
『わたしは、ダビデに約束した
聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える』
と言っておられます。ですから、ほかの個所にも、
『あなたは、あなたの聖なる者を
朽ち果てるままにしてはおかれない』
と言われています。ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。それで、預言者の書に言われていることが起こらないように、警戒しなさい。
『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。
わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。
人が詳しく説明しても、
お前たちにはとうてい信じられない事を。』」
パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。
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【何度でも福音を】
主イエス・キリストの復活、神による罪の赦しの福音を聴くことができる幸い、語ることができる幸いを覚えます。そのことが、現実とかけ離れた世界ではなく、好きな本を何度も読んだり、好きなドラマや映画を何度も観て語り合いたいと思うような、日常生活の中に起きる出来事であれば良いなと思います。罪の赦し、永遠の救いが与えられたことを実感すればするほど、もっと神について、聖書についての話を聴きたくなり、聴いて喜びが増せば増すほど誰かに語りたくなる、語らずにはいられない…そのように福音が広がっていくことを願います。
43節以降、次の週もパウロとバルナバの話を聴きたいと町中のほとんどの人が集まってきましたが、ユダヤ人は福音を受け入れず、その地方から二人を追い出してしまいます。しかし、それでも弟子たちは喜びと聖霊に満たされていました(52節)。一度きりの人生を豊かに生きるために、わたしたちは日々、様々な情報を得て、活用していることかと思いますが、その中で、福音は最も大切なニュースであることを信じます。何度でも福音を聴き、何度でも福音を語る、真実の喜びを知る人生を送ることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【5/1(月) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
創世記 1 章 1 ~ 27 節】
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」
そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。
神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。
神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
夕べがあり、朝があった。第五の日である。
神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
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【良しとされた世界で】
神が造られた世界は良いもので満ちていました。神が祝福された世界は現在、随分と変わり、悪くなってしまったかもしれませんが、神の祝福は変わることなく注がれていることを信じます。不思議に満ちたこの世界、宇宙を、神は、わたしたち人間に対する愛を示すために造られました。西暦2023年5月1日の今日という一日、神が造られた地球に生かされていることを覚えつつ、不思議(wonder)に満ち(full)た、ワンダフルな命を大切に生きたいと願います。一人ひとり、かけがえのない大切な命のために神が造られたこの世界、地球、自然、生き物を大切に思う心が与えられますように。物や情報が溢れる現代社会において、喜んで生きるために必要なものはわずかであること、わたしたちは既に祝福された存在であることを忘れず、神と共に、人と共に、恵み豊かな人生を歩むことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
4/30(日) 主日礼拝 10:40~11:40
【聖書箇所】
マタイによる福音書4章1~11節
さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。
【4/29(金) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
コリントの信徒への手紙 二 5 章 14 ~ 21 節】
なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
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【和解の言葉】
キリストの愛に駆り立てられ、キリストのために生きる人生は幸いです。主イエスの死は、すべての人のためのものでした。キリストと結ばれる人はだれでも、罪に死んで、新しい命を与えられています。神は、わたしたちの罪の責任を問うことなく、和解の言葉、和解の福音をゆだねられました。和解とは、壊れていた関係が修復されるということかと思います。神に背を向けて、神との関係を断とうとする罪が赦され、神と共に永遠に生きる道が開かれました。わたしたちは地上での限られた時間を、自分のために、また、家族、友人、知人…などさまざまな他者のために使っています。そのように、キリストのために、時間や労力を喜んで使うことができる、キリストと共に生きることができる人生は何と恵み豊かで幸せな人生かと思います。一方的な赦しによって、罪を持ちながらも、神との和解が与えられた、かけがえのない大切な命を、日々感謝して丁寧に生きていくことができますように。聖霊の導きによって、和解の言葉を、一人でも多くの方と分かち合い、共に喜ぶことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【4/28(金) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
ガラテヤの信徒への手紙 2 章 11 ~ 21 節】
さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」
すべての人は信仰によって義とされる
わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない。もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
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【イエス・キリストへの信仰によって】
罪を赦し、新しい命を与える。人間が誰ひとりとしてなし得ないことをイエス・キリストは十字架の贖いによって成し遂げてくださいました。わたしがかかるべき十字架に主イエスが身代わりとなってかかってくださっていることを覚えます。十字架刑は無惨な死の象徴かもしれませんが、主イエスは死に勝利され生き返られました。ただ信じることによって、イエス・キリストへの信仰によって、わたしたちは、イエス・キリストの復活の命に与り、新しくされ、罪から解放され、自由を得ました。この驚くばかりの恵みを無にすることなく、新しい命を活き活きと大切に生きることができますように。神を大切に、人を自分自身のように大切に、一つひとつの出来事に感謝しながら生きていくことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【4/27(木) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
イザヤ書 59 章 1 ~ 21 節】
主の手が短くて救えないのではない。
主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
むしろお前たちの悪が
神とお前たちとの間を隔て
お前たちの罪が神の御顔を隠させ
お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。
お前たちの手は血で、指は悪によって汚れ
唇は偽りを語り、舌は悪事をつぶやく。
正しい訴えをする者はなく
真実をもって弁護する者もない。
むなしいことを頼みとし、偽って語り
労苦をはらみ、災いを産む。
彼らは蝮の卵をかえし、くもの糸を織る。
その卵を食べる者は死に
卵をつぶせば、毒蛇が飛び出す。
くもの糸は着物にならず
その織物で身を覆うことはできない。
彼らの織物は災いの織物
その手には不法の業がある。
彼らの足は悪に走り
罪のない者の血を流そうと急ぐ。
彼らの計画は災いの計画。
破壊と崩壊がその道にある。
彼らは平和の道を知らず
その歩む道には裁きがない。
彼らは自分の道を曲げ
その道を歩む者はだれも平和を知らない。
それゆえ、正義はわたしたちを遠く離れ
恵みの業はわたしたちに追いつかない。
わたしたちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ
輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている。
盲人のように壁を手探りし
目をもたない人のように手探りする。
真昼にも夕暮れ時のようにつまずき
死人のように暗闇に包まれる。
わたしたちは皆、熊のようにうなり
鳩のような声を立てる。
正義を望んだが、それはなかった。
救いを望んだが、わたしたちを遠く去った。
御前に、わたしたちの背きの罪は重く
わたしたち自身の罪が不利な証言をする。
背きの罪はわたしたちと共にあり
わたしたちは自分の咎を知っている。
主に対して偽り背き
わたしたちの神から離れ去り
虐げと裏切りを謀り
偽りの言葉を心に抱き、また、つぶやく。
こうして、正義は退き、恵みの業は遠くに立つ。
まことは広場でよろめき
正しいことは通ることもできない。
まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。
主は正義の行われていないことを見られた。
それは主の御目に悪と映った。
主は人ひとりいないのを見
執り成す人がいないのを驚かれた。
主の救いは主の御腕により
主を支えるのは主の恵みの御業。
主は恵みの御業を鎧としてまとい
救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい
熱情を上着として身を包まれた。
主は人の業に従って報い
刃向かう者の仇に憤りを表し
敵に報い、島々に報いを返される。
西では主の御名を畏れ
東では主の栄光を畏れる。
主は激しい流れのように臨み
主の霊がその上を吹く。
主は贖う者として、シオンに来られる。
ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると
主は言われる。
これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると
主は言われる。
あなたの上にあるわたしの霊
あなたの口においたわたしの言葉は
あなたの口からも、あなたの子孫の口からも
あなたの子孫の子孫の口からも
今も、そしてとこしえに
離れることはない、と主は言われる。
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【離れることはない】
神の存在があるところに平和の光が照らされます。しかし、わたしたちは、神の存在に背を向けるという罪を持ちながら生きています。人生という荒波の中で、神を見失い、暗闇を彷徨う時もあるかと思います。光を望んでいるのに暗闇の中を歩く…平和を望んでいるのに争ってしまう…悪い力に支配されるこの世の中で、主イエスはわたしたちのために執り成し祈り、また、寄り添い、共に生きてくださいます。
「今も、そしてとこしえに離れることはない、と主は言われる。」
世の終わりまであなたがたと共にいるとわたしたちに語りかけ、今日も共に生きてくださる復活の主イエス・キリストの光に照らされて、神から離れずに生きていくことができますように。西から東まで全世界に、神の正義と救いが豊かに満ち溢れますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【4/26(水) 祈祷会聖書箇所
マタイによる福音書10章1~4節】
イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
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【祈祷会のお知らせ】
本日、午前10:30~11:30に祈祷会をいたします。祈祷会情報ページに祈祷課題とショートメッセージを掲載しています。週の半ばに、それぞれの場所でみことばを頂き、心を合わせて祈る時間に用いてくだされば幸いです。
【4/25(火) 毎日のみことば
(日本バプテスト連盟発行『聖書教育』より)
コリントの信徒への手紙 一 8 章 1 ~ 13 節】
偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。
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【知識は愛のために】
日々、御言葉を頂き、分かち合い、増えていく知識が神の愛のために使われますようにと願います。以前、信仰熱心な若い御夫婦が、仏壇に供えてあった果物を頂き持ち帰ったものの、これを食べても良いものかとしばらく二人で悩んだという話をしてくださいました。お二人はその果物を持って牧師に相談に行き、そこで本日の聖書箇所を教えてもらったそうです。それで安心して美味しく頂いたという証しを笑顔でされていました。お一人おひとり考え方や捉え方が違う中で、知識が人を高ぶらせるのではなく、誰かが心に平安を持つために、神と共に、人と共に恵み豊かに生きていくために使われるのは幸いなことかと思います。「万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行く」という知識が祝福され、わたしたちの命が神の御手の中にあるという神の愛と平安が世界のすみずみまで広がりますように。すべての知識が神の愛のために豊かに用いられますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【4/24(月) 準備のための聖書日課
(聖書教育 http://www.bapren.com/ より)
ヨハネによる福音書 8 章 1 ~ 11 節】
イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕
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【主よ、だれも】
申命記22章22節に、「男が人妻と寝ているところを見つけられたならば、女と寝た男もその女も共に殺して、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない。」と記されています。律法によれば、男性も共に訴えられなければならないのですが、この場面では女性だけが訴えられています。どのような事情があったのか分かりませんが、律法学者たちは律法を大切に思ってではなく、主イエスを陥れることが目的で、律法を完全に守ることなく女性だけを連れてくるという行動に出たことが伺えます。現代に生きるわたしたちも、聖書の御言葉を使って気に入らない誰かを訴えたり、自分の正しさを主張したくなってしまうという誘惑に会うことがあるかもしれません。そのような時に、「主よ、だれも」という言葉を思い出したいと願います。だれも罪を犯さない人はいない。だれも石を投げることができる人はいない。神に背く罪を持ち、滅びるしかなかったわたしに、滅びではなく救いを与えてくださった神の憐れみに感謝します。この救いを受け、赦された喜びに満ち溢れて、赦し合い、祈り合い、励まし合う世の中になりますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
4/23(日) 主日礼拝 10:40~11:40
【聖書箇所】
ヨハネの手紙 一 3 章 18 節
子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
【4/22(土) 準備のための聖書日課
(聖書教育 http://www.bapren.com/ より)
ルカによる福音書 18 章 9 ~ 17 節】
自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
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【子供のように】
人間は自分は正しいとうぬぼれやすい生き物なのかもしれません。そうでない方もいらっしゃると思いますが、誰かと比べて自分の方が上だと思ったり、自分の方がマシだと安心した…という経験をしたことがある方は少なくないのではないかと思います。神の国では、誰かと比べる必要はなく、神の正しさが、わたしたち一人ひとりを導き護ります。自分の弱さ、貧しさを知り、『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』と言えることは、ありのままのわたしを受け入れてくださる神の愛を知る恵みに他なりません。わたしたちは、いつまで経っても、どこまで行っても、神の子供です。親のお世話が必要な乳飲み子たちのように、神に依り頼まなければ自分の命をどうすることもできない存在であることを覚えつつ、感謝しつつ、わたしたちの造り主を賛美して生きていきたいと願います。両手を広げていつもわたしたちを受け止めてくださる神の祝福を豊かに頂くことができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【4/21(金) 準備のための聖書日課
(聖書教育 http://www.bapren.com/ より)
マルコによる福音書 6 章 25 ~ 34 節】
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
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【わたしたちはなおさら】
聖書日課ページの写真のほとんどは、2021年の6月に天に召されたS姉が遺してくれたものですが、今日は昨日撮った亜麻の花の写真を使いました。この亜麻の花、一昨日の夕方には強風で花弁のほとんどが飛ばされてしまっていたのですが、昨日の朝、また沢山綺麗に咲いてくれているのを見て、何だか励まされました。神は小さな花をこれだけ美しく、強く造られ、人を励ますパワーを与えられたのだなぁと、この一つひとつの花が神の栄光を現していることに感動しながら、わたしたちは一人ひとり、なおさら美しく造られ、人を励まし、神の栄光を現す存在なのだろうと思いました。まずは自分自身が明日のことまで思い悩むことなく、自分を労り、大切にして、自分の命がどれだけ美しく尊いものであるかを実感することができますように。そして、明日のことを思い悩む人に出会う時に、祈り、寄り添い、励ます者として用いられ、そのことを通して、主イエス・キリストの栄光が豊かに現れますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【4/20(木) 準備のための聖書日課
(聖書教育 http://www.bapren.com/ より)
詩編 36 編 1 ~ 13 節】
【指揮者によって。主の僕の詩。ダビデの詩。】
神に逆らう者に罪が語りかけるのが
わたしの心の奥に聞こえる。
彼の前に、神への恐れはない。
自分の目に自分を偽っているから
自分の悪を認めることも
それを憎むこともできない。
彼の口が語ることは悪事、欺き。
決して目覚めようとも、善を行おうともしない。
床の上でも悪事を謀り
常にその身を不正な道に置き
悪を退けようとしない。
主よ、あなたの慈しみは天に
あなたの真実は大空に満ちている。
恵みの御業は神の山々のよう
あなたの裁きは大いなる深淵。
主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
神よ、慈しみはいかに貴いことか。
あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
あなたの家に滴る恵みに潤い
あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
命の泉はあなたにあり
あなたの光に、わたしたちは光を見る。
あなたを知る人の上に
慈しみが常にありますように。
心のまっすぐな人の上に
恵みの御業が常にありますように。
神に逆らう者の手が
わたしを追い立てることを許さず
驕る者の足が
わたしに迫ることを許さないでください。
悪事を働く者は必ず倒れる。
彼らは打ち倒され
再び立ち上がることはない。
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【渇きを癒す命の泉】
神に逆らう者に罪が語りかける。神の存在を否定して生きる危うさ、神の義を求めない世界の闇を覚えます。神に背を向ける罪は誰もが持っていることかと思いますが、罪が語りかけてくる時に、天のように広大な神の慈しみと、大空に満ちる神の真実の尊さを思い起こし、神の家に滴る恵みに潤い、神の甘美な流れに渇きが癒され、神に立ち返ることができる恵み、聖霊の働きを感謝します。主イエス・キリストの内に生きる人は、神の光を見る光の子どもです。御翼の陰で憩い、命の泉から豊かに飲み、真っすぐに朗らかにキリストの道を歩んでいくことができますように。御言葉に養われ、今日も笑顔で、神と共に、人と共に恵み豊かに生きることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【4/19(水) 祈祷会聖書箇所
マタイによる福音書9章35~38節】
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
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【祈祷会のお知らせ】
本日、午前10:30~11:30に祈祷会をいたします。祈祷会情報ページに祈祷課題とショートメッセージを掲載しています。週の半ばに、それぞれの場所でみことばを頂き、心を合わせて祈る時間に用いてくだされば幸いです。
【4/18(火) 準備のための聖書日課
(聖書教育 http://www.bapren.com/ より)
マルコによる福音書 2 章 13 ~ 17 節】
イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
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【すべての人を招くため】
この世に生まれてきて、医者を必要としない人、いつまでも衰えずに生き続ける人、罪を犯さない人…は、いないのではないかと思います。それでも、この世の中には、格差があって、差別があって、わたし自身の心の中でも、この人と自分は違うという隔ての壁をいつの間にか作り上げてしまっていることがあります。考え方が違う人、価値観が違う人が同席して、一緒に食事ができることは、主イエスの御業、神の恵みであることを覚えます。湖のほとりに出て行かれ、教えてくださる主イエスの御声に耳を傾けながら、神の国の食卓に共につく仲間が、一人またひとりと増えていくことを願います。今日、神に招かれている、その招きに喜んで応えることができますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
【4/17(月) 準備のための聖書日課
(聖書教育 http://www.bapren.com/ より)
コリントの信徒への手紙 一 12 章 1 ~ 12 節】
兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
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【聖霊によらなければ】
一人ひとりに与えらえている神からの賜物が、聖霊によって実を結ぶ、神の御業をほめたたえます。賜物にはいろいろあって、務めにもいろいろあって、働きにもいろいろあるけれど、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神である一致を持つことができるとは、何と素晴らしい一致かと思います。そして、そのことは、キリストの体である教会全体の益となります。最近、宇美キリスト教会で、「意見を聞き合う」大切さがよく話題になります。こうでなければならないと決めてしまわずに、わたしはこう思うけど、あたなはそう思うのね。そういう意見もあるのね、とまずは聞く。10人いれば10の考えがあるかもしれませんが、その中から、全体の益となるものを選択する。今回は自分の意見が反映されなくても、みんなで決めたことに協力していく…その中で、祈り、また意見を交換し合い、神の愛の働きに参与し続ける…そのような教会形成がなされていくことを願います。
聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えない。アーメンです。聖霊によって「イエスは主である」と告白する共同体が、主イエス・キリストに一致して、豊かに実を結べますように。一人ひとりに必ず与えらえている賜物が豊かに祝福されますように。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。
4/16(日) 主日礼拝 10:40~11:40
【聖書箇所】
テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18節
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。