20250205祈祷会

マタイによる福音書27章57~66節

(新共同訳  新約58頁)


賛美  ♪ 298 十字架の影に


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 2月9日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 新年度役員選出のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

 「『イエスは死者の中から復活した』ことを誰に伝えたいですか?」 

 人の姿でこの地に来られた神が墓に葬られました。私たちを救うためにです。主イエスが私たちを罪から救うために十字架刑で死なれ、墓の中に納められ、よみに下り、三日目に復活されたという福音を、一人でも多くの方に知ってほしいと願ってやみません。

主イエスといつも共にいた弟子たちも逃げ出すような状況の中で、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人は、議員の名声を失う危険を冒してまで、主イエスの遺体を引き取りに来ました。ヨハネ福音書には、ヨセフが、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたことが記録されています。社会的地位を守るため、人の目を気にしていた人が、自分の評判を危険にさらしてまで、主イエスの遺体を引き取る決断をしたのは、十字架で示された神の愛の力によるものだと思います。神の無償の愛は、私たちの考え方を変え、人への恐れを消し、行動を変える力があることを覚えます。

聖書に記されている通りのことが起こらないよう番兵たちが命がけで墓を見張った結果、主イエスが死者の中から復活したことが証明されました。祭司長たちとファリサイ派の人々は、「三日の後に生き返る」と宣言されていた主イエスの言葉を気にして、弟子たちが来て死体を盗み出すのではないかと心配し、ピラトに番兵を出してもらい、封印した墓の見張りをさせました。しかし、どんなに頑丈な封印も、命がけで行った番兵の見張りも、神の御子の復活をとめられませんでした。主イエスは御自身を信じる人たちを、一人ひとり、終わりの日に復活させます。神の御心は、キリストを信じる人が皆、永遠の命を持つことです。いつの日か復活の新しい体を与えられる日が来るという希望を、罪赦され解放された喜びを、愛されている喜びを、一人でも多くの方と分かち合うことができますように。 


(牧師・間村史子)

20250129祈祷会

マタイによる福音書27章45~56節

(新共同訳  新約58頁)


賛美  ♪ 476 ゆるされて


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 2月2日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 役員選出総会の準備のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 

 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」詩編 22編2節、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。」を、主イエスは十字架の上で叫ばれました。さらに8節には、「わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。」そして9節、「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう。」と続きます。19節には、「わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。」そして、22編の最後は、「わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来るべき代に語り伝え、成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう。」と締めくくられます。「暁の雌鹿」に合わせての賛歌、ダビデの詩です。主イエスは、詩編22編の賛歌を叫ばれたのでしょう。

随分昔に参加した聖書学び会で、「イエスを殺したのは誰だと思いますか?」という質問がありました。ほとんどの人が「自分(が持つ罪)」だと答えましたが、答えは「父なる神」でした。父なる神の許可なしには、主イエスが十字架上で苦しみ死ぬことはありませんでした。

昼の十二時からの真っ暗闇の三時間。神の存在を感じられない、光のない、暗闇の支配の中で響き渡った、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」という主イエスの御声は、本来は、私たちが受けるべき苦しみと発すべき叫びでした。旧約時代から定められていた神の愛と憐れみに満ちた御計画によって、主イエスが私たちの代わりに見捨てられてくださいました。

主イエスが息を引き取られたとき、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返ったとは何とすごい映画のような情景でしょう。主イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に目撃された記事。私たちもいつか経験する復活の出来事です。 


(牧師・間村史子)

20250122祈祷会

マタイによる福音書27章27~44節

(新共同訳  新約57頁)


賛美  ♪ 298 十字架の影に


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 1月26日主日礼拝のため
(証し:山口正夫兄) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 役員選出総会の準備のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

 「どうしてそこまで…と思いたくなるほどの神の愛の中で 」 

 読んでいて胸が痛く苦しくなる箇所です。主イエスが死んで葬られた後、三日目に復活されたことを知っていても、いえ、知っているからこそ、人間が持つ罪の恐ろしさと、それでも私たち人間を愛し続けてくださる神の底知れぬ愛に心がしめつけられるのかもしれません。

本日の聖書箇所の44節に、一緒に十字架につけられた強盗たちが、二人とも主イエスをののしったと記載されています。マルコ福音書も同じくです。しかし、ルカ福音書は、十字架にかけられていた犯罪人の一人が、「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 とののしったとき、もう一人の方がたしなめたことが記されています。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言うと、主イエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われたという、印象深い箇所です。おそらく、この二人の犯罪人はマタイの記述のように、最初は主イエスをののしっていたのでしょう。 十字架刑は大変残酷な処刑方法であり、多くの人が周りを呪う言葉を吐き続けるのが普通だったそうです。余りにもうるさい者の舌は切られたという記録もあります。そのような中で、主イエスの「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)という祈りに一人の犯罪人は心を打たれ、回心したのではないでしょうか。

マルコ・マタイ書に、この記録がない理由は分かりませんが、主イエスは、どれだけ酷い目に合われても、逃げることも、ののしることもされず、神の御心を全うされました。どうしてそこまで…と思うほどの神の愛に浸りながら、祈りをお捧げしましょう。 

(牧師・間村史子)

20250115祈祷会

マタイによる福音書27章11

~26節

(新共同訳  新約56頁)


賛美  ♪ 298 十字架の影に


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 1月19日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 1/19信徒会のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

 「バラバ・イエスか、キリスト・イエスか。」 

  当時、イスラエルはローマ帝国の支配下にあり、祭司長たちには死刑にする権限がなく、総督ピラトに主イエスを死刑にするよう訴えました。ルカによる福音書13章1節に、「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。」という記述があります。ユダヤはローマにとって統治するのが難しい地域で、しばしば反乱暴動が起こり、ピラトは手を焼いていたようです。ピラトとユダヤ人が、お互い嫌い合っていたことがルカ福音書から分かります。ピラトは、彼らがねたみのために主イエスを引き渡したと分かっていましたし、群衆がまさか極悪人バラバを釈放しろと言うはずがないと思って17節の言葉を発したのでしょう。ピラトの妻も主イエスの釈放を願っていました。
  その思いとは裏腹に、民はこぞって「その血の責任は、我々と子孫にある。」と答えました。
彼らは救い主を殺し、イエス・キリストの血の責任を取ることになりました。約40年後の西暦70年にローマ軍により神殿は破壊され、ユダヤの民は各地に散らされることになります。
宗教指導者たちに扇動されてしまう民衆の心理とは、どのようなものだったのでしょうか。最初は期待して主イエスを歓迎していたのに、権力者たちによって単純に扇動され、激しく、「十字架につけろ」と叫び続け、主イエスを死へと追いやりました。群集心理という言葉がありますが、自分をしっかり保つことができない人間の弱さを覚えます。「バラバか、キリストか」というピラトの問いかけは、地上の権力に従って生きるか、救い主イエスに従って生きるかという選択を、現代を生きる私たちにも投げかけているように感じます。バラバとバラバを選んだ人々のためにも、主イエスは十字架にかかり、救いの道を開いてくださいました。その深い愛を一人でも多くの方が受け取ることができますようにと願います。

(牧師・間村史子)

20250108祈祷会

マタイによる福音書27章1

~10節

(新共同訳  新約56頁)


賛美  ♪ 476 ゆるされて


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 1月12日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 1/19信徒会のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

 「神はイスカリオテのユダをどのくらい愛しておられるでしょうか?」 

 イスカリオテのユダは、主イエスを祭司長たちと民の長老たち一同に引き渡したものの、その結果、死刑という重罪になることを想像できていなかったようです。ユダヤ人指導者の殺意を感じていたでしょうし、主イエス御自身が死なれることをはっきりと予告しておられたのに、主イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言いました。

ユダの「後悔」に使われているギリシア語は「メタメロマイ」というもので、「悔い改め」を意味する「メタノイア」ではありませんでした。昨年末、共にお読みした 26章最後のペトロの悔い改めと大きく違っています。ペトロが主イエスへの裏切りを自分事として激しく泣いたのに対して、ユダはある意味、他人事と感じる発言をしています。命がけで神へと方向転換してその人生を捧げることをせずに、自死を選んでしまいました。それにしても、ユダヤ人指導者たちの「我々の知ったことではない。お前の問題だ」という言葉は、あまりにも非情に感じますが、「自己責任」という言葉が現代でもよく使われていることを考えてみたいと思います。

「いかなる誓願のためであっても、遊女のもうけや犬の稼ぎをあなたの神、主の宮に携えてはならない。いずれもあなたの神、主のいとわれるものだからである。」(申命記23:19)

汚れたことのために使われた金は神殿の収入にはできないという律法には熱心に従うけれど、正しい方の血を流すという大きな罪にはまるで気づかない人の心の愚かさを覚えます。

使徒言行録1章に、ユダの死体が谷底に捨て置かれたことが読み取れる記述があります。 ユダが主イエスを本当に助けたいと思って銀貨三十枚を返したのか、神とユダだけが知っています。私の心にもあるユダの弱さを思いながら憐れみを祈ります。 

 

(牧師・間村史子)

メリークリスマス!

 今日はクリスマスということで、いつもと違うスタイルで、ヨハネによる福音書3章16節より、神さまの愛を深く味わいながら、賛美と祈りの時を持ちます。 2024/12/25

20241218祈祷会

マタイによる福音書26章69

~75節

(新共同訳  新約55頁)


賛美  ♪ 180 イエスがこころに


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 12月22日クリスマス礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ クリスマスプログラム準備のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

 「何度失敗しても、失格者にならないのは何故でしょうか?」 

 アドベント3週目、クリスマスを待ち望みながら、喜びが日々心に増し加わる中、本日の祈祷会の聖書箇所は、ペトロが3回も主イエスを否定してしまうという、何とも胸が苦しくなるような場面を一緒にお読みしたいと思います。アドベントの時よりは受難節、レントの時によく読まれる所かもしれません。しかし、主イエスとの関わりを否定し、打ち消してしまう人間の弱さを知りながら、それでも、神の愛を伝えるために、この世に来てくださった主イエスのご降誕の喜びが、一層、増し加わり、心に沁みる聖書箇所であるとも思います。

 ペトロ以外の弟子たちは、主イエスを見捨てて逃げてしまい、ペトロだけが遠くから様子をうかがっていました。この時、ペトロは祈りながら行動をおこしていたのでしょうか。聖書には記されていません。この時、ペトロに向けられた3回の質問ですが、その2回目と3回目の間には「1時間ほど」(ルカ22:59)時間がたっていました。「次こそは主イエスの弟子だと言えますように」「神にのみ従えますように」・・・様々な祈りを捧げたかもしれません。時間がたくさんありましたから。しかし、ペトロは呪いの言葉さえ口にして、嘘なら呪われてもよいと誓ってしまいました。すべての人が、この弱さを持っていて、そして、神はそのことを百も承知で、そのひとり子を世にお与えになったことを覚え、神の愛の深さに途方にくれる思いがいたします。主イエスを否定したペトロに「イエスの言葉」が迫ってきました。すぐに神に背を向けてしまう私たちにも、日々、イエスの言葉、「聖書のみことば」が迫る時があるかと思います。その根底には、「あなたが何度失敗しようが、わたしはあなたを見捨てない。」という、私たちを失格者にしない神の愛が溢れるほどにあることを信じます。すべての人が、この神の愛の深さに気づき、クリスマスプレゼントを受け取ることができますように。 

(牧師・間村史子)

20241211祈祷会

マタイによる福音書26章57

~68節

(新共同訳  新約54頁)


賛美  ♪ 180 イエスがこころに


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 12月15日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ クリスマスプログラム準備のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

 「何のために主イエスは生まれましたか?」
 
11月に入ると世の中はクリスマスモード、教会よりも飾り付けが早いなぁと毎年感じます。日本のクリスマスの歴史は、1552(天文21)年に山口県で宣教師たちが日本人信徒を招いて、降誕祭のミサを行ったことが最初と言われているのだそうです。江戸時代に入るとキリスト教弾圧があり、明治時代に改めてクリスマス文化が到来しました。1900(明治33)年に、明治屋が銀座でクリスマス向け商品を販売し、大正時代にはクリスマスに華やかなイルミネーションが街を彩るようになりました。先日、大正時代かな?と思う時代のドラマにクリスマスツリーが登場しているのを見て、気になって調べてみました。1926年12月25日に大正天皇が崩御し、後に大正天皇祭(休日)と定められ、クリスマスの習慣がさらに普及しました。 現在の日本では、クリスマスは祝祭日ではありませんが、1927年から21年間、クリスマスは休日でした。1950年頃のベビーブームからケーキやプレゼント等、デパートのクリスマス商戦が過熱するようになったそうですが、歴史を振り返ると、クリスチャン人口1%未満の日本で、こんなにもクリスマスを祝うのは、神のご計画があるように思えてきます。
小さな町の小さな小屋に小さな姿で来てくださった主イエスは、人々から「死刑にすべきだ」と言われ、顔に唾を吐きかけられ、こぶしで殴られ、平手で打たれても、神の御心のままに十字架の道を歩まれました。人間の心の恐ろしさをすべて知り尽くしながらも、自由意志を与え、そのまますべてを受け入れ愛してくださる神の御心を、私たちは聖書に記されている主イエスの姿、生き様を通して知ることができます。神の御心とは、主イエスに与えられた人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることです。そのために主のご降誕という素晴らしい出来事が起こったのだと信じています。一人でも多くの方がクリスマスの本当の意味を知り、神の愛という最高の贈り物を受け取ることができますように。

(牧師・間村史子)

20241204祈祷会

マタイによる福音書26章47

~56節

(新共同訳  新約54頁)


賛美  ♪ 180 イエスがこころに


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 12月8日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ クリスマスプログラム準備のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「『友よ』と呼びかけられる主イエスの御声、聞いていますか?」

ゲッセマネで、「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」 と祈られた主イエスは、ユダに裏切られ、逮捕されることを心に決めておられました。主イエスはユダに、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われました。神の御心のままになるという確信を持っておられたにしても、それでも、裏切るユダに「友よ」と呼びかけられるとは、主イエスの愛の深さに感嘆します。この「友よ」という響きの中には、「決してあなたを見捨てない。どれだけあなたがわたしを裏切ろうと、あなたは「友」なのだ。」という主イエスの深い憐れみがあり、現代を生きる私たちにも、聖書を通してかけられているように感じます。私たちの中にある、神につい背を向けてしまう罪が赦され、「友よ」と呼びかけられる、愛と恵みに満ちた御声を聞き逃さずに応答したいと願います。
主イエスがいよいよ捕らえられそうになった時、一人の弟子が剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落としました。ヨハネ福音書にはその人物がペトロであったと記されています。男気を見せたペトロですが、振り上げた剣は、ペトロの救いにはなりませんでした。「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」主イエスはこの地上での生涯において、一度も剣を取らず、汝の敵を愛せよと、その御言葉通りの姿勢を貫き通されました。私たちの救い主は、鞭で打たれ、唾を吐きかけられ、棒で叩かれ、十字架につけられました。剣どころではない十二軍団以上の天使を従え人間を滅ぼす力を持っていたのに使わず、弟子たちに見捨てられ、捕らえられ、侮辱され、殺されました。救いはそこにあると心から信じます。世界中で、いっせーのーせで、武器を放棄すれば、地球は平和な神の国となるでしょう。それができない人間に、主イエスは今日も「友よ」と呼びかけておられます。  

(牧師・間村史子)

20241127祈祷会

マタイによる福音書26章36

~46節

(新共同訳  新約53頁)


賛美  ♪ 207 緑も深き


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 12月1日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ クリスマスプログラム準備のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「主イエスと共に目を覚ましていますか?」

 主イエスは、栄光に輝くキリストの姿を見た(マタイ17章:山上の変貌)ペトロとヤコブとヨハネに、ご自分が苦しみもだえて祈る姿をも見せて、一緒に祈るよう求められました。罪を贖うために、父なる神との断絶を味わうという死ぬほどの悲しみを彼らと共有しようとされました。十字架と復活の出来事の後に生まれた私たちは、主イエスが十字架で死んで、復活されて、罪から救ってくださったことを人から聞いて、または、聖書で読んで知っていますが、弟子たちは、そんなこと起こるはずがないと思っていました。神の子、救い主である主イエスが、十字架刑という極めて残酷で、惨めで、みすぼらしく死んでいくなど信じられない。ルカによる福音書に、悲しみのはてに眠り込んでしまったと書かれているように、彼らは、みことばを受け止めることができずに、泣き疲れて眠ってしまったのかもしれません。
  「わたしと共に目を覚ましていなさい。」は、英語では、Watch with Meと訳されています。一緒にしっかりと見ていなさい。三位一体の父なる神との交わりから切り離される、想像を絶する御子イエスの苦しみを、私たちはしっかりと心の目で見て、神との断絶は死ぬほどの悲しみであると知る必要があります。文字通り目を覚ましていることだけではなく、差し迫る神の時に、霊的な目が開かれ、祈って準備する大切さを主イエスは教えてくださいました。
  大事な時に何度も寝てしまう弟子たちに、「立て、行こう。」と主イエスは呼びかけ、十字架の道へと出発されました。何て不甲斐ない弟子たちだろうと自分のことは棚に上げて思ってしまいますが、主イエスは、それでもいっしょにいることを求められました。大切なときに居眠りしてしまっても、主イエスは私たちを傍にいさせてくださいます。ずっと一緒にいてくださる主イエスに感謝して、霊と心の目を覚まして祈り続けたいと願います。 

(牧師・間村史子)

20241120祈祷会

マタイによる福音書26章31

~35節

(新共同訳  新約53頁)


賛美  ♪ 神の家族


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 11月24日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 11/24アイロンビーズ工作会のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「つまずく原因は何ですか?」

 「あなたがたは皆わたしにつまずく。」主イエスの言葉を悲しく感じたこともありましたが、最近は、「先に仰ってくださって、イエスさま、ありがとうございます。」と気持ちが楽になったように感じたりもします。本日の聖書箇所で、「つまずく」と訳されたギリシア語は、「スカンダリゾー」(σκανδαλίζω)で、ここからスキャンダルという言葉が派生したそうです。マタイによる福音書に、「つまずかせる、罪を犯させる」という意味で14回登場するこの原語は、本日の短い箇所の中に3回も繰り返し使われており、メッセージのキーになっているかと思います。

 弟子たちは何につまずいたのか、それは、主イエスがこの世に来られた「救い」の本当の意味、目的を理解せずに、主イエスに対して間違った期待を持ったことに、つまずきの原因があるのではないでしょうか。人間の永遠の命の救いよりも、目先のイスラエルの復興への希望に、心が支配されてしまうと、神のご計画が見えずに、つまずいてしまうのだと思います。現代の教会においても、このつまずきは起こりうることかと思います。主イエスは、わたしたちに、ゼカリヤ書(13:7~9)の預言を引用して、「つまずくよ。」と予告をしてくださいます。

 人間の本質はそんなに変わらない。主イエスの予告通りに、多くのキリスト者がつまずき、教会から、また、神から離れてしまうことが、どれだけ繰り返されてきたことでしょう。主イエスと一緒にいた弟子たちでさえつまずきました。しかし、弟子たちは、つまずいても、悔い改めて、心の進む方向を神に転換して立ち返りました。神の憐れみと愛に依り頼み、贈り物として与えられている信仰を大切に、信じる決心をするならば、失敗しても神に立ち返ることができるでしょう。人につまずいて教会を離れる。よく聞く話かもしれませんが、つまずいた後にどう進むかの分かれ道、いつも神の方へと方向転換できますように。 

(牧師・間村史子)

20241113祈祷会

マタイによる福音書26章26

~30節

(新共同訳  新約53頁)


賛美  ♪ 神の家族


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 11月17日主日礼拝のため
(証し:引田かすみ姉) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 11/24アイロンビーズ工作会のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「いつか主イエスと共にパンを食べ、ぶどう酒を飲む日を楽しみに生きていますか?」

  11月10日の秋の特別伝道礼拝を感謝します。人間として生きられた主イエスの考え方、振る舞いが身近に感じられ、いつか主イエスにお会いできる日が来ること、神の国の食卓で一緒に笑い語り合える日が来ることを楽しみに生きられる喜びの余韻に浸っています。
主イエスとまだ出会っていない、もしくは、主イエスの存在を知ったけれども、一緒に生きていくことを遠慮(拒絶)する人生は損をしていると思います。一人でも多くの方に知らせたい気持ちに胸を躍らせながら、本日の聖書箇所を読みました。小見出しに「主の晩餐」とあります。それは、主イエスがご自分の弟子たちと一緒に食事をした過越の食事を記念していることを示します。英語で「ユーカリスト(感謝)」「コミュニオン(交わり)」などと訳される主の晩餐式、聖餐式は、わたしたちのためのキリストの愛の働きに対して感謝し、神と、また、他の方がたと親しく交わる機会であり、有難く、その招きに喜びあふれて応えたいと願います。
愛であり、命の源であるキリストは、聖餐を通して、私たちと親しく交わってくださり、祝福を与えてくださいます。月に一回の聖餐式において、どれほどの驚くばかりの恵みを感じて、感謝にあふれる喜びの涙を流しているか、いつか主イエスと一緒にパンを食べ、ぶどう酒を飲む日をどれだけ楽しみにしているか…問われる思いがいたしました。
 特別伝道礼拝にて、悔い改めは方向転換であることを再認識し、すぐに神と違う方向を向いてしまうわたしたちが、神の方へと心を方向転換した時に、天では、天使たちが大喜びするということを聖書の御言葉より実感できて感謝でした。わたしたちの心が神から離れることを神がどれだけ悲しむか、そして、わたしたちの心が神へと向くときにどれだけ喜ばれるかを心に留めて、礼拝を捧げ、主の聖餐式に招かれたいと願います。

(牧師・間村史子)

20241106祈祷会

マタイによる福音書26章14

~25節

(新共同訳  新約52頁)


賛美  ♪ 476 ゆるされて


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 11月10日主日礼拝のため
(メッセージ:谷本仰牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 11月10日(日)特別伝道集会のため 


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「主よ、まさかわたしのことではありませんか?」

 イスカリオテのユダは、主イエスが死ぬと御自身で宣言されていることに失望していたのかもしれません。もちろん自分がこれまでのように金銭を横領できなくなってしまうということも裏切りの一因だったことでしょう。 祭司長たちが、イスカリオテのユダに「銀貨三十枚」を支払うことにしたと記されていますが、これはゼカリヤ書11章の預言の成就です。
『わたしを見守ってきた羊の商人たちは、それが主の言葉であることを知った。わたしは彼らに言った。「もし、お前たちの目に良しとするなら、わたしに賃金を支払え。そうでなければ、支払わなくてもよい。 」彼らは銀三十シェケルを量り、わたしに賃金としてくれた。主はわたしに言われた。「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を。」わたしはその銀三十シェケルを取って、主の神殿で鋳物師に投げ与えた。』
どうして銀三十枚シュケルなのかと言いますと、出エジプト記21章32節、「もし、牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いた場合は、銀三十シェケルをその主人に支払い、その牛は石で打ち殺されねばならない。」から来ています。奴隷が殺された時の賠償金が三十シェケルということは、ユダにとって主イエスは奴隷のような存在です。主イエスは過越の食事の席で誰かが御自分を裏切ろうとしていると言われました。22節に動揺する弟子たちの姿が記されています。「もしかしたら自分が主イエスを裏切ってしまうのではないか…?」弟子たちの心の弱さ、不安が表れているように思います。自分は絶対に裏切らないと言い切ったペトロも主イエスを三度知らないと言いました。しかし、ユダ以外の弟子たちは、躓きはしたものの、皆、立ち返り、神に従う人生を全うしました。不安でも、弱くても、神の愛と赦しを受け入れる選択の先に、主イエスの弟子として歩む道があるように思います。 

(牧師・間村史子)

20241030祈祷会

マタイによる福音書26章6

~13節

(新共同訳  新約52頁)


賛美  ♪ わたしの香油の壺を割り


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 11月3日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 11月10日(日)特別伝道集会のため 


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「あなたの香油の壺、主イエスの喜びのために割っていますか?」

 9月15日の敬老感謝礼拝で、「わたしの香油の壺を割り」という賛美を幸齢者祝福祈祷の前にさせていただきました。「わたしの香油の壺を割り、主の御足に口づけします。わたしのために十字架につき、その血で我がつみきよめられた」…賛美しながら「あなたの香油の壺を割りなさい」という神の御声が聞えてくる思いがいたしました。本日の聖書箇所に登場する一人の女がした行動は記念として語り継がれています。聖書を通して、何人の人がこの女性と出会ったことでしょう。礼拝のメッセージでもお話しましたが、この香油は当時の労働者の年収くらい高価なものでした。弟子たちが憤慨して「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」 と言ってしまったことに頷きたくなるような気もします。しかし、十字架の出来事を通して神の愛を知ったわたしたちにとっては、やはり、この時、この女性に与えられていた使命は、金額では表すことができない、主イエスの死の意味を理解し受け入れるものであったと納得できるものなのではないでしょうか。

 現代を生きるわたしたちにとって、香油の壺は何にあたるでしょうか。主イエスのために、その香油を使うことは具体的にどのような行為なのでしょうか。主イエスはこの女性の行為を喜ばれ、記念として語り伝えられると仰いました。わたしたちの壺に、与えられている時間や神から頂いた愛、聖書の御言葉、執り成しの祈り、賛美、祝福…プライスレスな素晴らしい恵みが入っているとしたら、主イエスが喜ばれる使い方をしたいなと思います。貧しい人々に施すことも大切なことです。弟子たちが主イエスの生き様を見倣って心からそう願って言ったなら、主イエスも11節のような言い方はされなかったのではないかと思います。神から頂いた恵みを神の喜びのために、惜しみなく使うことができますように。 

(牧師・間村史子)

20241023祈祷会

マタイによる福音書26章1~5節

(新共同訳  新約51頁)


賛美  ♪ 主の手にゆだねて


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 10月27日召天者記念礼拝のため
(メッセージ:間村史子) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ カフェ・工作会等の日常的開催のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 11月10日(日)特別伝道集会のため 


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「カイアファを、そして、わたしを愛してくださる…人知を超える愛、身に染みてますか?  」

  朝の礼拝で読み進めているヨハネによる福音書、10/19(土)の箇所18章13節にもカイアファという名前が出てきました。主イエスが捕らえられる場面です。一隊の兵士と千人隊長、ユダヤ人の下役たちは、主イエスをまず、カイアファのしゅうとであるアンナスのところへ連れて行きました。アンナスは、主イエスが幼少期のユダヤ人の大祭司でしたが、辞職させられ、彼の息子たちと義理の息子(婿)カイアファが後任となりました。二人は、エルサレム市内の神殿の近くに住んでいたと言い伝えられており、アンナスは辞職後も大祭司の称号を持ち、重要問題では助言を求められていました。宗教的指導者でありながら、政治的野望の誘惑に負け、神の子を殺すことに加担してしまったカイアファは、主イエスについて、「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だ」と、ユダヤ人たちに助言しました。
  主イエスが十字架刑に処せられたのは、神が選んだイスラエルの民が、主イエスを受け入れなかったためでした。主イエスは神の言葉を語り、その目は貧しい人、虐げられて悩み苦しむ人たちに向けられ、一人ひとりと出会い、神の愛を施されました。宗教指導者たちの偽善を正面から批判し、多くの人々が憐れみ深い主イエスの言葉を受け入れました。しかし指導者たちは恨みや妬みを募らせて、とうとう主イエスを殺す計画に心を燃やしました。
罪のない人を死に至らしめるのは、十戒に「殺してはならない」とあるように、律法で重い罪にあたりますが、指導者たちはそれを知りながら計略を用いて主イエスを捕らえ、殺そうと企むのですから、そこには神に対する恐れまでも失った、自己中心そのもの、神に背く罪の支配しかありません。 その罪からわたしたちを救うために、神は人の姿をとられ、十字架でご自身の命を手放してくださいました。人知をはるかに超える愛です。

(牧師・間村史子)

20241016祈祷会

マタイによる福音書25章31~46節

(新共同訳  新約50頁)


賛美  ♪ 神の家族


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 10月20日主日礼拝のため
(証し:引田俊祐兄) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ オープンカフェ・工作会の継続のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 11月10日(日)特別伝道集会のため 


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「最も小さい者の一人に寄り添えるほど恵みを実感しているでしょうか? 」

   先週の箇所を初めて読んだ時、一タラントの人が気の毒に思ったという話を分かち合いましたが、本日の聖書箇所も、初めて読んだ時、山羊が可哀そうだと思いました。アルプスの少女ハイジのアニメを、子供時代、楽しみに見ていたわたしは、真白な仔山羊のユキちゃんが可愛くてしかたありませんでした。聖書には、よく山羊の話が出てきます。大抵の羊飼いは、羊と山羊の両方を飼っていました。山羊のミルクは栄養価が高くてチーズづくりに適していましたし、その毛は天幕の材料になったということです。しかも、羊よりの人の手をとらず、山羊は、羊飼いにとって大切な動物でした。ただ、山羊は羊より性質が荒く、よく喧嘩をして逃げ出すことがあったため、時には羊と山羊を分ける必要がありました。
主イエスは、すべての国の民がご自身の前に集められると言われ、それが全人類の裁きであることを示されました。人類を羊と山羊の混じり合った群れにたとえられたのは、すべての命が大切であるけれど、より分ける必要があることを教えられたのではないでしょうか。
申命記でも度々命じられ、詩編や預言書にも記されているように、旧約時代から神の目は、いつも、貧しい人、寄るべのないみなしごや、やもめたちに注がれています。「飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませる」という文章の原語には、ただ与えるだけでなく、自分でそのことができるようになるまで寄り添うという意味があるそうです。この聖書箇所から、慈善の行いをしなければ…と強制的な思いを持つ方がおられるかもしれません。しかし、主イエスが教えられた慈善の行為は、守らなければ永遠の罰を受けるから仕方なく守るというものではなく、先に恵みを頂いて、お世話せずにはいられない思いへと導かれて喜んで仕えるものだと思います。聖霊の導きが豊かにありますように。 

(牧師・間村史子)

20241009祈祷会

マタイによる福音書25章14~30節

(新共同訳  新約49頁)


賛美  ♪ 主の手に委ねて


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 10月13日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑧ 求道者、新来者、学生の方がたのため  

⑨ オープンカフェ・工作会の継続のため  

⑩ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため

⑪ 11月10日(日)特別伝道集会のため 


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「神は、あなたにとって、どんな主人ですか?」

神は、わたしたちに、できないことを無理してさせることはなさいません。一人ひとりの能力に応じて、神の財産を預かる喜びの人生を味わい、神の国に生きる素晴らしい恵みを与えたいと願っておられます。初めてこのたとえ話を聞いた時、一タラントの人を気の毒に思いました。少ない財産、少ない能力を神しか与えられなかったと、肩身の狭い思いをしたかもしれない。しかも、それを盗んで逃亡したわけでもなく、隠しておいてそのまま返しただけなのに、どうしてこんなに厳しいことを言われなければならないのだろうと感じました。

しかし、このたとえ話を、自分に与えられているタラントを感謝して、人と比べたりすることなく、預けてくださった神との関係を第一に考えること、そして、その神を信頼することが大切だということを教える話として聴いた時に、スーっと腑に落ちました。神は、わたしたち人間を同じ製品のように造ることはされません。一人ひとりに目的を持って造られ、この地上で歩むわずかなひと時にとどまらず、永遠というスパンで、すべての人間と関わっておられることを信じています。大小さまざま、みんな同じではなく、みんな違ってみんな良い、アーメンです。

一タラント預かった人は、主人を「蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていました」と勝手に思い込んでいました。三人とも同じ主人の言動を見ているはずですが、二人は主人を信頼し、また、主人の優しさを知っていて、主人のために一生懸命働きたいと努力しました。しかし、一人は主人が厳しくて意地悪だと思い込んでいる・・・わたしたちの身の回りでもよくある話なのかもしれません。間違った神のイメージを持って、勝手に神を評価して、関わらないようにさせようとする悪い力から護られますようにと願います。憐れみ深い神を信頼して、喜んで生きることができますように。 

(牧師・間村史子)

20241002祈祷会

マタイによる福音書25章1~13節

(新共同訳  新約49頁)


賛美  ♪ 主の手に委ねて


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 10月6日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

【祈祷会ショートメッセージ】

「『十人のおとめ』のたとえで主イエスが教えてくださったことは何でしょう?」

当時の結婚がどのようなものであったかを頭のかたすみに置きながら、主イエスのたとえに耳を傾けたいと思います。まず、双方の父親によるお見合いがなされ、花婿の父が、花嫁の父に花嫁料を支払い婚約となります。それから、最低一年間、間を置き、花婿が花嫁の家まで出向き、そこで会見がなされ、一説によると、その会見で結婚が解消された時に花嫁側に支払われるお金の話まで出ていたそうです。それで会見が長引き、花嫁を伴って、宴会の用意のできた花婿の家に到着する時間が遅くなることがよくあったようです。ですから、付き添いでともし火を持つ友人たちが待たされる時間もまちまちであり、すぐに出発すれば油は必要ないのに…待たされる身にもなってほしいと、つい考えたくなってしまうように思います。

しかし、当時のユダヤ人の婚宴が沢山の人が参加できるよう夕方から始まっていたことや、会見に時間がかかることを知っていたのであれば、やはり、準備しておかないことを愚かだと言われても仕方がないような気もします。現実では、きっと、うっかりものねという笑い話になり、ひとつのともし火で二人の足元を照らしながら歩いたのではないかと想像します。

ところが、主イエスが、このことを天の国のたとえとして語られたので、油が何のたとえであるかを深く考える必要が出てきました。いつ起こるのか誰も知らない終末の日々に、わたしたちの命を支えるのは、目に見える物質的なものではなく、しっかりと準備ができた心なのではないかと思います。聖霊によって与えられる信仰、希望、愛は、一人ひとり、その人にしか受け取ることができず、他の人から分けてもらうものではないということを主イエスは教えてくださいました。突然、真夜中にやって来る花婿は他の誰でもない主イエスです。信仰の光、希望の光、愛の光を心に輝かせ、喜んで出迎えることができますように。 

(牧師・間村史子)