20230607祈祷会
マタイによる福音書10章32~39節
(新共同訳 新約18頁)
賛美 ♪301 いかなる恵みぞ
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*子どもたちとの出会いのために。
*地域の方がたとの出会いのために。
*すべては主イエス・キリストの栄光のために。
【主な祈祷課題】
① 6月11日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方との交流(どうぞの机)のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 7/29(土)サマースクール準備のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・主イエスの御言葉に戸惑う方も多い聖書箇所かと思います。まずは、マタイ10章が12人の弟子に語られている場面であるということを心に留めて読みたいと思います。主イエスが12使徒を呼び寄せ、派遣するにあたり、彼らの霊と魂を護るために与えられた注意であり、特に、34~39節は、家庭の中に戦いを起こすことが主イエスの目的ではなく、世捨て人のように生きることや殉教の勧めでもなく、人間の間違った方法ではなく、神の正しい方法で命を得なさいという、主イエスの教えの目的を見失わずに丁寧に読む大切さを覚えます。
・たとえ福音宣教のためであったとしても、この聖書箇所を用いて家族から引き離し、誰かの人生を支配することがあれば、それはキリスト教会ではないカルト団体となってしまう危険性についても考える必要があるかと思います。これをしなければ救われないというのであれば、主イエスが十字架にかかり罪を贖う必要がなかったことになります。救いは既に与えられました。自分の力で命を得ることは不可能だと知り、わたしの命の造り主である主イエスに、わたしの命を手放し委ねることが、かえって命を得ることになる神の御業に感謝します。
・口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じて、わたしたちは救われました。救いを受け取った後にどう生きていくか…信仰の成長の度合いも違いますし、年齢や健康など様々な状況によって、クリスチャンライフも変わってくるかと思います。ヘブライ人への手紙5章12~14節に、「実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。」と記されています。信仰の成長は大切ですし、人生を捧げて主イエスに従い生きることは大いなる恵みだと思います。しかし、その目的が“救い”ではないことを忘れないようにしたいと願います。
(牧師・間村史子)
20230531祈祷会
マタイによる福音書10章26~31節
(新共同訳 新約18頁)
賛美 ♪523 主われを愛す
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*子どもたちとの出会いのために。
*地域の方がたとの出会いのために。
*すべては主イエス・キリストの栄光のために。
【主な祈祷課題】
① 6月4日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方との交流(どうぞの机)のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 7/29(夏休み)木の工作会準備のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・クリスチャン人口1%未満の日本という国のことを思うと、何か日本地図に布がかけられて福音が遮断されているような思いがすることさえありますが、たとえ多くの日本人の目に覆いがかけられていたとしても、いつかその覆いは取り除かれ、神の存在を知ることができる。
本日の御言葉に励まされ、人々のさまざまな反応を恐れることなく、中傷を恐れることなく、主が教えてくださったGood News、良い知らせを宣べ伝える者として用いられたいと願います。知られずに済むものはない、神がすべて御存知であることに畏れと安心を覚えます。
・先週の祈祷会聖書箇所に、12使徒をこの世に送り出すのは、狼の群れに送り込むようなものだと主イエスが言われた記述があるように、弟子たちの心は不安でいっぱいだったかもしれません。28節の文字だけを読むと、体が殺されることを恐れず、魂が滅ぼされないよう神に従って殉教しなければならないのかという思いが浮かぶかもしれませんが、これは殉教の勧めではないことが、次に続く節から分かります。非常に安い値段で売られている小さな雀の一羽でさえ、神の許可なしには死ぬことはない。神に遣わされ、福音宣教の働きをする時に、どんなに命の危険があろうと、死に瀕することがあろうと、神以外を恐れる必要はありません。神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
・すべての人のために、その独り子をさえ惜しまず死に渡され、十字架の贖いを成し遂げられた三位一体の神は、御子イエスと一緒にすべてのものをわたしたちに賜ってくださいます。信仰によって神から義とされたわたしたちを、神以外の誰も罪に定めることはできず、裁くこともできません。その上、すべての人のために十字架にかかられたキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成し、祈り、今、聖霊という目に見えない姿でわたしたちと共にいてくださいます。艱難も、苦しみも、迫害も、飢えも、裸も、危険も、剣も…何ものも、キリストの愛からわたしたちを引き離すことはできません。すべての命を支配される神に委ねて、神だけを畏れ、感謝と賛美を捧げながら生きてまいりましょう。
(牧師・間村史子)
20230524祈祷会
マタイによる福音書10章16~25節
(新共同訳 新約18頁)
賛美 ♪心に感謝をもちながら
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*子どもたちとの出会いのために。
*地域の方がたとの出会いのために。
*すべては主イエス・キリストの栄光のために。
【主な祈祷課題】
① 5月28日主日礼拝のため
(信徒説教: 山田君代姉)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方との交流(どうぞの机)のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 5/28ペンテコステ賛美礼拝のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・先週の祈祷会聖書箇所で、主イエスは、十二使徒を派遣される際に、「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」と言われました(マタイ10:7)。 「天の国は近づいた」と、告げ知らせることは、神が旧約の預言者たちを通して語って来られたことです。主イエスが、この世に来られたことによって、その天の国がすでに、わたしたち、人と人の間にあるということ、しかし同時に、いまだ実現しておらず、見えたり隠れたりするものであることを覚えます。
・神の国がまだ完成されていない、この世の中で宣教を行うことには危険が伴い、主イエスは蛇のように賢くなりなさいとまで言われます。蛇というと、この世に罪が入るきっかけを作った悪賢い存在として良くないイメージがあるかと思いますが、民数記にはイスラエルの民を正すために、蛇が用いられたことが記されています。すべての命を神が目的をもって造られたことを思い巡らしながら、神の御計画と救いを知るための賢さを持ちたいと願います。
・さまざまな迫害にあう時に、聖霊が語ってくださる。だから、何をどう言おうかと心配しなくてよいとは何とありがたいことかと思いますが、同時に、何と難しいことかとも思います。神に委ねますと祈りながら、どこまで神を信頼して生きているのか…自分を中心に日々の生活をついつい送ってしまうわたしの姿が浮かび上がってまいります。しかし、すべてを御存知の神は、それでもわたしを愛し、わたしを見捨てられずに、十字架にかかってくださいました。
・神を信じる信仰によって、最後まで神の御手の中に留まる決意をするならば、必ず救われるという御言葉に励まされながら、主イエスが再び来られる日まで、福音を宣べ伝えたいと願います。一人でも多くの人が主に立ち返り、救いを受けられますよう祈るばかりです。
・この世の中では、弟子が師匠の成果を超えることは珍しいことではないかもしれませんが、主イエスが師であるなら超えられないのは当然であり、主人のようになるのは、とても無理なように思います。しかし、諦めることなく、主イエスを模範としながら、神と共に生き、神の御前にへりくだり、聖霊の導きに従うことができますよう共に祈りましょう。
(牧師・間村史子)
20230517祈祷会
マタイによる福音書10章5~15節
(新共同訳 新約17頁)
賛美 ♪神の国と神の義を
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*子どもたちとの出会いのために。
*地域の方がたとの出会いのために。
*すべては主イエス・キリストの栄光のために。
【主な祈祷課題】
① 5月21日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方との交流(どうぞの机)のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 7/29(夏休み)木の工作会準備のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・主イエスは、12人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになりました。そして、この世の中に遣わされました。また、その際に、異邦人の道に行ってはならない、サマリア人の町に入ってはならないと仰いました。サマリアは北イスラエル王オムリが築いた都でしたが、アッシリアの攻撃により紀元前721年に陥落し、住民は捕囚の民となり、指導的地位にあった高位者は強制移民により他の土地に移され、サマリアにはアッシリアからの移民が移り住みました。このとき旧イスラエル王国領の残留イスラエル人と、移民との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれ、ユダヤ教徒との軋轢は激しく犬猿の間柄となってしまいました。
・全世界に福音を宣べ伝えなさいと大宣教命令を出される主イエスが、異邦人の地での宣教を禁じられるとは奇妙な感じがしますが、これは、イスラエルを通して救いが告げ知らされることが神の目的であることを覚えます。そして、何故、イスラエルが最初に約束の民として選ばれたのか・・・申命記7章7節に、「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。」と記されています。12人の弟子たちの中にも、社会的な著名人、エリートはおらず、宗教の専門家もいませんでした。神の選びは不思議です。ただで受けたのだからと、ただで与えることができる、何も持たずに宣教に出かけることができる、自分の力に頼ることなく、空っぽになって神の力を求め、自分にではなく神に栄光を帰す人を選ばれます。
・主イエスが、会堂等に彼らを遣わさず、個人の家に遣わされたのは、福音が先ず深く個人の心に植付けられる必要があるということかと思います。心に神を迎え入れるスペースがある人に福音が伝えられ、平和が与えられ、その人からまた福音と平和が広まるのを見ることができたらどんなに幸いなことでしょう。残念ながら神の方に心を向けることなく生きることを選ぶ人もいるかと思います。しかし、必要を満たしてくださる神が、拒んだ人々をも御手の中に置かれることを覚えつつ、大胆に福音を宣べ伝えてまいりましょう。
(牧師・間村史子)
20230510祈祷会
マタイによる福音書5章4節
(新共同訳 新約6頁)
賛美 ♪603 主よ みもとに
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*子どもたちとの出会いのために。
*地域の方がたとの出会いのために。
*すべては主イエス・キリストの栄光のために。
【主な祈祷課題】
① 5月14日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方との交流(どうぞの机)のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 7/29(夏休み)木の工作会準備のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・昨日の午前8時頃、宇美キリスト教会員のN姉が天に召されました。本日の祈祷会ではN姉を偲びながら、また、聖書の御言葉に慰められ、励まされながら、N姉が長い入院生活を経て、今、神の御許で安らぎを得ておられますよう心合わせて祈りたいと思います。
・「悲しむ人々は幸いである」の「悲しむ」は、愛する者に先絶たれて泣くことを意味する言葉なのだそうです。死が引き起こす悲しみの表現、葬儀において流される涙や、嘆きを表現する時に用いられる原語が使われているということです。神さまが愛されたN姉、キリストの体である宇美教会が愛するN姉と、願わくばもう一度、礼拝を一緒に捧げることができますようにと祈ってまいりましたが叶いませんでした。身寄りのないN姉と深く親交を持ち関わって来られた方がたにとっては、言いようのない深い悲しみがあることかと思います。しかし、その悲しみを埋めるように、見送るわたしたちは慰められることを、本日の御言葉より覚えます。
・イザヤによれば、主イエスは「悲しみの人」でした。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠しわたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。(53:3)」。キリストは罪に伴う悲しみを、ご自分の身に負われました。わたしたちは一人ではありません。わたしたちの悲しみを知ってくださり、罪に伴う悲しみを引き受けられ、十字架の贖いによって、わたしたちを救ってくださった主イエスが共におられます。
・主イエスは、「死」に対して、心に憤りを覚え、興奮され、そして、涙を流されました。罪の報酬である「死」は、ひと時の間であっても、人と人とを離れさせ、悲しませる惨いものですが、主イエス・キリストは死に打ち勝ち復活されました。80年という地上での人生を終えたN姉が、宇美教会というキリストの体に連なり、主イエスの執り成しの祈りと、神の家族が捧げる祈りに包まれて、主の御許へと帰って行かれたことを信じます。この世の旅路を一緒に歩む仲間と共に、復活の主の命に与る希望を持ちながら、慰め合い、励まし合い、いつかN姉と天国で会える日を楽しみに生きていきたいと願います。
(牧師・間村史子)
20230426祈祷会
マタイによる福音書10章1~4節
(新共同訳 新約17頁)
賛美 ♪満たしてくださる方
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 4月30日主日礼拝のため
(信徒説教: 大槻由美子姉)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方との交流(どうぞの机)のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 7/29(夏休み)木の工作会準備のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・以前、教会学校で子どもたちと一緒に12弟子の名前を覚えるための歌を作成したことがあります。チューリップのメロディーに合わせて、「ペトロ、アンデレ、ヤコブとヨハネ、フィリポ、トマス、マタイ、ヤコブ、タダイ、バルトロマイとシモン、ユダ」と歌いながら、一緒に名前を覚えました。本日は12弟子について少しだけ人物紹介をして親近感を抱けたらと思います。
・主イエスは12人の弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒すために、権能を授けられました。ペトロと呼ばれるシモンは、主イエスを3度知らないと言ってしまったペトロですが、ガリラヤ湖のほとりで主イエスに最初にスカウトされました。その兄弟アンデレは、洗礼者ヨハネの弟子だったと言われています。ゼベダイの子ヤコブは大ヤコブと呼ばれ、(12使徒はヨハネとユダ以外は全て殉教したと伝承されていますが)最初の殉教者だと言われています。その兄弟ヨハネはヨハネの福音書(別人の説もあり)とヨハネの黙示録を記した人物で、この4人は漁師でした。フィリポの記述は少なく食糧調達係というイメージがあります。使徒言行録のフィリポとは別人のようです。バルトロマイは名前しか知られていませんが、ヨハネ1章で主イエスに、「真のイスラエル人」と賞賛されたナタナエルの別名説があります。トマスと徴税人のマタイは説教にもよく出てくる馴染み深い名前かと思います。
アルファイの子ヤコブは、小ヤコブと呼ばれ、主イエスの従兄弟であり外見がそっくりだったという説があります。タダイは別名ヤコブの子ユダであり、ユダの手紙の著者だとも言われますが定かではありません。熱心党(反ローマ帝国の過激派組織)のシモンも特筆されていませんが、熱烈な愛国者であったようです。そして、主イエスを裏切ったイスカリオテのユダ。
・本日の聖書箇所で、マタイは初めて「使徒」という言葉を使っています。「使徒」という言葉は、使命を受けて派遣されるという意味を持っています。現代を生きるわたしたち教会も、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」という使命を帯びて、それぞれの地域に遣わされていることを深く覚えたいと思います。
(牧師・間村史子)
20230419祈祷会
マタイによる福音書9章35~38節
(新共同訳 新約17頁)
賛美 ♪431 いつくしみ深き
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 4月23日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方との交流(どうぞの机)のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 生活の困窮に直面している方がたのため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・先週の祈祷会奨励で9章32~34節に関しては、奇跡の内容よりも、群衆の積極的肯定の声と、ファリサイ派の人々の否定的な声にフォーカスを当て、読者が主イエスの癒しの奇跡にどのように反応し、応答するのか問いかけているようだとお話しましたが、主イエスに対する反対、拒絶の行動が少しずつ出てくる中で、主イエスは、町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒されました。
・これまで以上に精力的に宣教活動をされる主イエスの姿が目に浮かぶようです。聖書には、主イエスが深い憐れみを示される場面が何度も出てきますが、「深く憐れまれた」という原語の元来の意味は内臓(腸や腹)を表すものです。飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている群衆を見られた主イエスは、「腸(はらわた)がよじれる、ちぎれそう」なほど、その人々に同情されました。神の憐れみは、人間同士の同情とは違うことを覚えます。
・今でこそ、十字架で示された主イエスの深い愛を知り、神の憐れみなくしては、とても生きていくことができないと感じていますが、バプテスマを受けて間もない頃は、「憐れみ」という言葉を聞き慣れず、違和感がありました。今でも何となく、人に対して使うことがばかられるような響きを感じることがあります。「憐れまれる」=「見下される」というような図式や、つい働いてしまう損得勘定などが、人間社会に、また、自分の心にあるからかもしれません。
・主イエスは、深く憐れまれただけでなく、弟子たちに、収穫のための働き手が少ないから、送っていただくよう、収穫の主に願いなさいと勧めました。神の目には、神の御国に入る人が大勢いるのですが、神の働きに参与していく人々が少ないことを指摘されています。
・現代に至るまで、働き手不足は続いているように思いますが、この世に生きる人の置かれている状況が厳しければ厳しいほど、自分自身も含めて、傷つき、迷い悩み、苦しむ時に、人の痛みを共有できる「働き手」が求められることだと思います。主イエスの憐れみを頂きながら共に働く同労者が増えていきますよう心合わせて祈ってまいりましょう。
(牧師・間村史子)
20230412祈祷会
マタイによる福音書9章27~34節
(新共同訳 新約16頁)
賛美 ♪523 主われを愛す
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 4月16日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方との交流(どうぞの机)のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 生活の困窮に直面している方がたのため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・先々週の祈祷会聖書箇所では、「あなたの信仰があなたを救った」という、「信じること」がキーワードとなっていましたが、本日の聖書箇所でも、主イエスは、「信じるのか」「あなたがたの信じているとおりになるように」と、信じることの大切さを重ねて教えられます。
・二人の盲人は、「ダビデの子よ」と主イエスに呼びかけました。預言者ナタンを通して与えられた神の約束に基づいて(サムエル記下7:12~13)、ユダヤ教ではダビデの家系から現れる救い主が強く待望されていましたが、それは人間的な権力によって他民族を支配し、イスラエルの栄光を回復させる存在でした。しかし、マタイによる福音書で、主イエスが「ダビデの子」と呼びかけられるのは、ほとんどの場合、病人を癒す奇跡の場面であり、主イエスが武力ではなく、憐れみの実践によってわたしたちを救う神であることが強調されています。
・続けて主イエスは、口の利けない人から悪霊を追い出され、またも癒しを与えられました。今回は信仰を告白していない人を癒され、また、盲目の人たちに厳しく命じられた「誰にも知らせてはいけない」ということも仰いませんでした。二人の盲人への命令には、癒しや奇跡という行いに注目するのではなく、キリストを通しての救いという癒しの奇跡に焦点を合わせてほしいという主イエスの願いが含まれていると思いますが、32~34節に関しては、奇跡の内容よりも、群衆の積極的肯定の声と、ファリサイ派の人びとの否定的な声にフォーカスを当て、読者が主イエスの奇跡にどのように反応し、応答するのか問いかけているようです。
・今の時代において、本日の聖書箇所のような主イエスがなされた奇跡は起こらないかもしれません。しかし、たとえ目が見えなくても、耳が聞こえず言葉を発せなくても、共に、福音を分かち合い、共に、礼拝できる方法が与えられているということは、主イエスがなされる愛の実践の奇跡であり、わたしたちは、そこに永遠の癒しの奇跡、救いの希望を見いだすことができるのではないでしょうか。今日も活き活きと働いておられる、復活の主イエス・キリストの奇跡、御心が天になるように、この地にもなりますように。
(牧師・間村史子)
20230405祈祷会
イザヤ書53章1~12節
(新共同訳 旧約1150頁 )
賛美 ♪215 暗いゲッセマネ
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 4月9日イースター礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方がたとの交流のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ イースター礼拝と祝会の準備のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・イザヤ書53章は、すべての人の罪を背負い、苦しみを受けられた救い主イエス・キリストについての預言だと言われています。わたしも、一番よく使う聖書のイザヤ書53章のところに、「イエス・キリスト」と書き込んでいます。通常の祈祷会では、マタイによる福音書を読みすすめていますが、本日は、受難週の祈祷会ということで、イザヤ書53章を読みましょう。
何度も読んで深く味わい、体で感謝することを覚えていきたいと願う聖書箇所です。
・主イエスは、「聖書はわたしについて証しをするものだ。(ヨハネ5:39)」と仰いましたが、ユダヤ教ラビは敢えて信徒にこの章を語らず、「禁止された聖句」という言葉さえあるそうです。「イエスはキリストだった」という教えは、キリスト者にとっては信仰の中心となると思いますが、ユダヤ教徒にとっては異教の教えと受け取ってきたからです。しかし、生きて働く神の御言葉は、一行一行の間に神の愛が詰まっていて、この箇所を読む度に主イエスの受難が思い起こされ、朗読する時に声が震えてしまうほどに心が動かされる不思議を覚えます。
聖霊の働きによってそのようなことが起こらないように敢えて語らないのかなとも思います。
・私事ですが、ピアノやパソコン入力の練習を始めて、随分月日が経ちました。最初の頃は、楽譜を読むことも出来ませんでしたし、また、パソコンのキーボードは両手でカタカタと打つことも出来ず、使いこなすことが出来ませんでした。もちろん今も未熟ではありますが、最初の頃に比べると、ピアノは目を瞑ってでも弾けるようになり、パソコンのキーボードもいわゆるブラインドタッチが出来るようになりました。ただ続けていると、体が自然と覚えていくように、聖書の御言葉も重ねて読んでいくほどに、頭で理解するのではなく、主イエスの受難の痛みと愛、救われた喜びが、霊と体と心に染み渡り、感謝が溢れていくのだろうと思います。
・主イエスが自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する平和な世の中になりますようにと願います。神が望まれる救いが、十字架の出来事によって成し遂げられたことを信じ、感謝しながら、受難週の一日一日を大切に丁寧に過ごしてまいりましょう。
(牧師・間村史子)
20230329祈祷会
マタイによる福音書9章18~26節
(新共同訳 新約16頁)
賛美 431 いつくしみ深き
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 4月2日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方がたとの交流のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ イースター礼拝と祝会の準備のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・本日の聖書箇所は、マルコ5章とルカ8章に詳しく記されています。マタイは大変簡潔に短く、少し異なる表現もあります。マルコとルカでは、指導者の娘が死にそう、死にかけているとなっているのに対して、マタイでは「死にました」とあります。主イエスが指導者の家に行く途中に娘は亡くなってしまうので、間違ってはおらず、はじめから主イエスの弟子として共に行動したマタイが、主イエスが娘を生き返らせたことを強調したかったのだと思われます。
・3つの福音書とも共通して、指導者の娘の話の途中にイエスの服に触れる女が登場します。12年間も出血が止まらない病とは、おそらく子宮に関するもので、ユダヤ社会においては汚れた病として疎外されていました。ユダヤ人社会で高い地位にいた指導者の娘と、病によって差別されている女性という全く違うタイプの人びとが、同じように主イエスを必要とし、主イエスに出会えたというところに、福音の平等性を感じます。そして、指導者も、主イエスの服に触れた女性も、主イエスにすがれば助けてもらえるという確信を持っていました。
・出血が続いていた女性は癒されましたが、指導者の家に行くと、笛を吹いたり騒いでいる群衆がいました。葬儀の際に、遺族は泣き男や泣き女を雇うことが多く、遺体が墓に運び込まれる数時間前から、家族、近所の方がた、親戚と共に、彼らは声を上げて泣き叫び始めていたそうです。胸をたたいたり衣服を裂いたりして、人の「死」への悲しみが表現されました。
・マルコとルカには、この少女が12歳だったことが記されています。12部族や、12使徒、ヨハネの黙示録には、新しいエルサレムには年に12回実を結ぶいのちの木があると記されており、聖書の中で12とは特別な数字のようです。日常生活においても、1年の月が12あり、干支も12あり、1ダースは12・・・と話がそれてしまいそうですが、とにもかくにも主イエスは少女を生き返らせました。死の支配下では、嘆きや悲しみに心を沈めることしかできません。しかし、わたしたちには主イエスという復活の命の希望が与えられています。
死を打ち破り、新しい命を与えてくださる神に感謝の祈りを捧げましょう。
(牧師・間村史子)
20230322祈祷会
マタイによる福音書9章14~17節
(新共同訳 新約15頁)
賛美 ♪主がわたしの手を
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 3月26日主日礼拝のため
(証し: 松下靖子姉)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方がたとの交流のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ イースター礼拝と祝会の準備のため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・ファリサイ派の人々は週に二回程、断食をしていました。バビロン捕囚の後に、 ユダヤ人たちは深く悔い改めました。自分たちが律法を守らなかったらだと反省し、学者エズラが律法を回復させる運動を行いました。バビロン捕囚時代に生まれた律法学者たちは神の教えを研究して、日常生活でどのように具体的に行っていくかを決めて、人々に教え、自分たちも実践していきました。「律法」は、もともとは人間が神といっしょに幸せに生きていくために、神が愛をこめて与えてくださった大切な教えでしたが、いつの間にか、律法を守るということの本質を忘れ、守る事自体が目的化してしまいました。そして 400 年経った時には、それが口伝律法、いわゆる律法主義となり、聖書と同じような権威を持つようになりました。
・それなのに、主イエスの弟子は断食していません。バプテスマのヨハネの弟子たちは、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と主イエスに尋ねました。主イエスは、婚礼にたとえて、今は断食する必要がないことを伝えます。ヨハネの弟子たちは、罪の悲しみをあらわすために、また、救い主の到来への備えとして断食していました。ですから、救い主と一緒にいる弟子たちは断食する必要がありませんでした。主イエス御自身も断食されましたし、断食することを非難してはおられません。断食は正しい理由で行われなければならないことを教えられました。
・加えて、主イエスは、新しいものをもたらすために、この世に来られたことを説明されます。ぶどうの果汁は発酵の過程で、ぶどう酒になります。発酵している間にガスが発生し、ぶどう酒が入っている新しい革袋は膨らんで伸びます。もしも、新しいぶどう酒を硬くなった古い革袋に入れると、発酵し始めた時に、革袋は破裂してしまいます。旧約聖書時代から、神は新しいことを行うと語られています。「新しいことをわたしは告げよう。(イザヤ42:9)」「見よ、新しいことをわたしは行う。(イザヤ43:19)」エレミヤ書、エゼキエル書にも出てくる、「新しいこと」を実現される主イエスの再臨を待ち望み、祈ってまいりましょう。
(牧師・間村史子)
20230315祈祷会
マタイによる福音書9章9~13節
(新共同訳 新約15頁)
賛美 ♪光を、主よ Send the light!
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 3月19日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方がたとの交流のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 3/21東ブロック子ども教会キャンプのため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・マタイという名前は、マルコ2章とルカ5章では、レビという名前で記されています。マタイというヘブライ語の元々の意味は「わたしの贈り物(複数形)」であり、一般的には、「神の賜物」と理解されています。主イエスがシモンの名前をペトロ(岩)とされたように、レビという名前をマタイとされたのかもしれません。徴税人という、使徒の候補としてふさわしくない仕事をしていたにもかかわらず、主イエスに目を留められ、招かれたという、神の多大な恩恵、贈り物を受けた者の一人として、自分の名前をマタイと記しているのだと思われます。
・徴税人と言えば、主イエスを見るために走って先回りし、いちじく桑の木に登ったザアカイが思い浮かびますが、金銭的には満ち足りていても、心の中は罪悪感や迷い、不安で一杯だったかもしれないザアカイを主イエスが見つけ、話しかけてくださった場面と本日の聖書箇所が重なるように思います。ザアカイはプライドも遠慮もなく、主イエスを喜んで迎え入れました。マタイ9:9の「彼は立ち上がってイエスに従った」という一文にも、マタイが手放したくても手放せなかったものから主イエスが解放してくださったという、救いの喜びが溢れているように感じます。マタイは、食卓をふるまい、大勢の徴税人や罪びとが同席しました。
・そのことを良く思わないファリサイ派の人びとに、主イエスはホセア書6章6節、「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない。」を引用して、彼らの間違いを正しました。どれだけ儀式や細かい規則を守っても、「神の愛、恵み、慈しみ、憐れみ」をなおざりにし、徴税人や罪びとを断罪して差別するならば、神に従い生きることにはならないということを、わたしたちもよく学ぶ必要があることを覚えます。
・生涯において、一度も病気にかからない人はいないと思います。神に背を向けるという罪を犯したことがない人も一人もいないのではないでしょうか。つまり、すべての人を招くために主イエスは来られました。病にかかる者、神に背く罪を犯す者であることを自覚して、ありがたく主イエスの招きに応え、共に食卓につかせて頂きたいと願います。
(牧師・間村史子)
20230308祈祷会
マタイによる福音書9章1~8節
(新共同訳 新約15頁)
賛美 新生讃美歌 ♪431 いつくしみ深き
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 3月12日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方がたとの交流のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 3/21東ブロック子ども教会キャンプのため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・ガダラ人の地方で、悪霊から二人の人を解放するという奇蹟を行われた主イエスは、宣教活動の拠点であるカファルナウムへと帰って来られました。すると中風の人が主イエスの所に連れてこられました。マルコ2章とルカ5章に、その時の状況が詳しく記されています。
・四人の男性が中風の人を運んできましたが、群衆に阻まれて主イエスのもとに連れて行くことができず、主イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴を開け、病人の寝ている床をつり降ろすという強硬手段で癒しを願いました。主は、その人たちの信仰を見て、「あなたの罪は赦されると言われ、中風の人を癒されました。大勢の人が奇蹟を目の当たりにし、大変驚き、恐れに打たれて、人間であるイエスにこれほどの権威を与えられた神を賛美しました。
・主イエスは中風の人に、「あなたの罪は赦される」と言われました。当時のユダヤ社会で、罪と病気は密接に関係していると考えられていましたが、無関係の時もあります。ヨハネ9章で、 弟子たちが「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 と主イエスに尋ねた時、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」と答えられました。しかし、本日の聖書箇所では、主イエスが「あなたの罪は」とはっきり言われているので、この中風の人は何か罪を犯して病気になったということでしょう。当時、中風は乱れた性的関係から梅毒によってなるという説がありましたので、もしかするとこの中風の人は姦淫の罪を犯して病に苦しんでいたのかもしれません。しかし、信仰によって癒しを受けました。
・罪の赦しを宣言される主イエスに対して、「神を冒涜している」と心の中で呟く律法学者に、主イエスは御自分が地上で罪を赦す権威を持っていることを見せて下さいました。癒されることは大変嬉しいことですが、病が癒されても、わたしたちは、いつかは死にゆく者です。
目先の癒しに留まらず、罪を赦す権威を持っておられる主イエスに留まる幸いを覚える者とされ、信仰によって永遠の癒しを受け取りたいと願います。
(牧師・間村史子)
20230301祈祷会
マタイによる福音書8章28~34節
(新共同訳 新約14頁)
賛美 新生讃美歌 ♪301 いかなる恵みぞ
【宇美教会 今年度の教会の祈り】
*地域に根ざした宣教活動のために。
*求道者の方がキリストに結ばれ共に成長する教会形成のために。
【主な祈祷課題】
① 3月5日主日礼拝のため
(説教: 間村史子牧師)
② 全国の福音宣教の働きのため
③ バプテスマ準備中の方のため
④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため
⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため
⑦ 苦しみや悲しみの中にある方がたのため
⑧ 地域の方がたとの交流のため
⑨ 為政者、医療従事者の方がたのため
⑩ 世界の平和のため 被災地のため
⑪ 新役員の働きのため
※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。
※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。
【祈祷会ショートメッセージ】
・札幌教会での研修中、聖書何でも質問ノートというものを作り、子供たちが疑問に思うことを色々と書き込んでくれました。その中の一つに、本日の聖書箇所より、豚が可哀そう、豚も神さまが造られたのではないのですか?という質問がありました。皆さんだったら、どう答えられるでしょうか。わたしは、どう答えようと随分頭を悩ませ、祈り、神がすべてを人間のために造られ、人間はその管理を任されていることを伝えたいなという思いに導かれました。
・豚も大切な生き物です。ベイブという映画を観てミニブタの可愛さにメロメロになりましたが、わたしは豚肉を食べます。罪がこの世に入る前には、動物の血が流れることはなく、すべての生き物はあらゆる青草を食べて満足していました。アダムとエバが神に背く罪を犯した時に、神は皮の衣を作って彼らに着せ、初めて動物の血が人間の罪によって流されました。
・この世全体が悪い者の支配下にあると聖書に記されていますが、確かに、今の時代に至るまで、血が流され続けています。しかし、人を見捨てることなく、十字架で御自身の命を手放すほどに人を愛し赦してくださる神は、今も尚、わたしたちに、この世界の管理を任されます。
・当時、豚は律法によって汚れた動物とされていました。この地域で多くの豚が飼育されていたということは、異邦人が多く住んでいたということになるかと思いますが、彼らは人の命や尊厳よりも、また悪霊の仕業がなくなるよりも、商売の方を大切にする人たちでした。
・主イエスが悪霊に命じると、その通りに悪霊どもが豚の中に入り、その群れが崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだのを見た人々の驚きは大変なものだっただろうと思います。主の御業が町中に知らされましたが、彼らは二人の人の解放を喜ぶよりも、商売が成り立たなくなることを案じて、主イエスに出て行ってもらうよう願いました。自分たちの生活の変化を恐れて、神に介入してほしくないと思う身勝手さは誰もが持っているものかもしれません。しかし、すべては神のものであり、人間を守り生かすための恵みであることを忘れず、苦しんでいる人びとのために喜んで手放す者とされたいと願います。
(牧師・間村史子)