20240619祈祷会

マタイによる福音書22章15~22節

(新共同訳  新約43頁)


賛美  ♪ 298 十字架の影に


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 6月23日主日礼拝のため
(証し:山口正夫兄) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「神のものを神に返していますか?すべての能力、肉体を返す準備できていますか?」

主イエスが十字架にかかられる数日前、またもや、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談しています。特殊詐欺に関するニュースを見ていて思うのですが、どうやって人を騙して陥れお金を奪おうかと考える労力、計画を立てる熱心さを良い行いへと向けたら、大きな良い働きができるのではないかと…。しかし、悪い力に支配されているこの世において、今回も、主イエスが、「ローマ帝国に税金を納めなさい」と言えば、ファリサイ派の人々は、「この男は、神の子と言いながらローマ帝国の手先のような奴だ」と非難することができ、「税金を払わなくてよい」と言えば、ヘロデ派の人々がローマ皇帝のもとへ行って、「税金を納めなくてよいと言っています」と、反逆罪で訴えられる質問を編み出しました。政治的に捕らえられるか、ユダヤの民衆から憎まれるか、どちらの答えでも立場が悪くなる問いです。詐欺師ではありませんが、用意周到な問いを、ファリサイ派(宗教グループ)と、ヘロデ派(政治的なグループ)が力を合わせて考えました。
主イエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と、またも、彼らが驚くような知恵で応答されます。先週、婚宴に出席する際には礼服が配られ、それを着るマナーについて読みましたが、この世の秩序を乱すことを神は勧めてはおられません。神を信じて神の子とされたわたしたちも、この主イエスの姿勢を見倣い、浮世離れせずに、しかし、神のものは神にという最も大切なことを忘れずに生きていけますようにと願います。形あるものは移ろい変わり、いつかは廃れて滅びます。ローマ帝国も東西へ分裂し、1453年には滅亡しました。コロナウィルスのニュースも最近めっきり見なくなりました。永遠に変わらないもの、 それは、神の愛だけです。いつか、すべてを神にお返しする日が来ます。準備が出来ているか確認しつつ、一日一日を大切に丁寧に生きてまいりましょう。 

(牧師・間村史子) 

20240612祈祷会

マタイによる福音書22章1~14節

(新共同訳  新約42頁)


賛美  ♪ 481 迷い多きこの世 


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 6月16日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「どうして礼服を着ないでここに入って来たのか(12節)。
与えられた礼服着てますか?」

先週の聖書箇所、「ぶどう園と農夫」のたとえと同じ内容の事柄を、主イエスは別の角度から、もう一度語られます。「婚宴」のたとえです。婚宴の際、王は事前に招待状を送るのが習慣だったそうで、招待しておいた人々を呼びに家来たちを遣わします。王に招かれるのは名誉なことですが、披露宴は何日間も続くため、さまざまな犠牲が伴ったことかと思います。招かれた人々は、それぞれの仕事を理由に招待を断りますが、日常の生活に埋没してしまい自分の計画や都合を優先することに対して、主イエスは、経済的な活動や儀礼的な付き合いよりも大切なことがあることを示されます。招待を断るのは大変もったいないことです。
イザヤ書25章6節に、「万軍の主はこの山で祝宴を開き、すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。」と記されています。神の国の祝宴について、旧約聖書でも預言されていますが、ユダヤ人たちは預言者たちに従わず、招きに応答しませんでした。前回のたとえで、主人がぶどう園を他の農夫たちに貸したように、王は
他の人々を招待しようとします。しかも、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも、善人も悪人も皆集めて来て、婚宴は客でいっぱいになりました。教会も見倣いたいなぁと思います。
その中に婚礼の礼服を着ていない者が一人いました。 当時の習慣では、宴会に招かれた客に、礼服が与えられていました。礼服を着ていない人は、貧しくて礼服を買うことが出来なかったのではなく、与えられた礼服を拒否して入ってきたということであり、それは、招待した主人を侮辱する行為であり、参加したくないという主張だと判断されます。誰もが招かれていますが、何でもありの世界ではないことを覚えます。信仰によって神の子とされ、洗礼を受けてキリストと結ばれ、キリストを着(ガラテヤ3:27)て、神の永遠の支配がある天の国で行われる婚宴に招待される幸いを覚えつつ、感謝の祈りを捧げましょう。

(牧師・間村史子) 

20240605祈祷会

マタイによる福音書21章33~46節

(新共同訳  新約42頁)


賛美  ♪ 104 雨を降り注ぎ 


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 6月9日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「借りたぶどう園でどう働きましょうか?」

皆さん何度も読んだことがある箇所かと思いますが、このたとえは、「家の主人」が「神」、「農夫たち」が「祭司長や民の長老という政治や宗教の指導者たち(イスラエルの民)」、「主人の僕たち」が「預言者や神に忠実な祭司たち」、「息子」が「イエス・キリスト」、そして「ほかの農夫たち」が「異邦人たち」をあらわしていると思われます。
イスラエルの民は神から特別に選ばれた民だったわけですが、預言者が来ても、主イエスが来られても、頑なに受け入れませんでした。今の時代を、このたとえ話の続きとして、神が貸してくださった地で生きるわたしたち異邦人が、ぶどう園で毎日どのように過ごしているか思い巡らしてみます。ここでの農夫たちは小作人であって自作農ではありません。わたしたちが、この世で過ごす時間も、小作人のように、少しの間、借りているだけということを忘れないようにしたいと思います。結局わたしたちは、すべて神から借りて生活しています。それを、人間がまるで自分の所有物のように主張して、戦争を起こして、人を殺してまで奪い合うのは、利己主義、自分本位の考え方で、神の栄光とならないことを覚えます。
主イエスは多くの人に見捨てられ、十字架刑で死なれましたが、復活し、教会の礎の石(新改訳)となってくださいました。礎とは、家屋や橋などの柱の下に据える土台石であり、物事の基礎となる大切なものです。わたしたち、一人ひとり、不思議な方法で神に招かれ、キリストという礎の石の上に立てられる教会、キリストの体の一部となりました。それは、ただ一方的な神の憐れみによって与えられた恵みです。信仰によって義とされる、神の国に加えられる驚くばかりの恵みです。神から借りたぶどう園で、与えられている時間を大切に使い、豊かに実を結ぶことができますように。すべての人の救いのために祈りを捧げ、価なく救われた喜びを一人でも多くの方と分かち合うことができますように。  

(牧師・間村史子) 

20240529祈祷会

マタイによる福音書21章23~32節

(新共同訳  新約41頁)


賛美  ♪ 鹿のように


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 6月2日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「二人の息子のたとえ話から、主イエスがわたしたちに伝えたいことは?」

マタイによる福音書を読み進める中で、祭司長や律法学者たちの主イエスを陥れようとする質問が出てくる度に・・・またか・・・と辟易する気持ちが湧いてきますが、その都度、神の知恵に溢れる言葉で、主イエスは彼らの企みを打ち砕かれます。主イエスを陥れようとすることによって、かえって偽善が暴露され、そのことが主イエスを殺す計画へと結ばれます。
 「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」という質問は、主イエスの口から神を父と呼び、自分を神の子とする冒涜的な言葉を引き出すためのものでしたが、主イエスは彼らの罠にはかからず、ヨハネのバプテスマがどこからのものかを尋ねました。祭司長や長老たちは答えることができず、彼らの動機があらわにされました。
 主イエスは続けて「二人の息子」のたとえ話をされます。どちらが父親の望み通りにしたかと問われた人たちは、「兄の方です」と答えました。口先ばかりで、実際に行動をしない人よりも、口ではあれこれ言いながらも、実際に行動に移せる人の方が素晴らしいのだという不言実行を主イエスは褒めているのでしょうか。それなら、最初から「はい」と素直に従い、実行する有言実行の方がもっと良いように思います。兄が考え直したというところがポイントで、立ち止まって本当にこれでいいのかと神に方向転換する悔い改めを神は望んでおられる、悔い改めて従いなさいと主イエスがわたしたちに語ってくださっているのだと感じます。
 すべての人を救うために主イエスは十字架にかかってくださいました。すべての人が罪を持っています。最初から「はい」と素直に従い、実行することを、生まれてから死ぬまで一度も失敗せずに続けてできる人は果たして存在するでしょうか。「あなたたちより先に神の国に入る」。主イエスの言葉から、最初から拒否し、後で考え直して実行しようともしないユダヤ人の指導者たちにも、救いの道は開かれていたことを覚えます。 

(牧師・間村史子) 

20240522祈祷会

マタイによる福音書21章18~22節

(新共同訳  新約41頁)


賛美  ♪ 523 主われを愛す


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 5月26日主日礼拝のため
(証し:紀平直子姉) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「イエスが覚えられる空腹とは?」

 本日の聖書箇所、そのまま読むと、お腹が空いているのに実がなってないとは何事だ!と、主イエスが怒って、奇蹟的な力でいちじくの木を枯らすという、何とも理不尽な、いちじくが気の毒に思えるような内容です。しかし、忘れてはいけないのが、主イエスは40日間も断食されて、「人はパンだけで生きるものではない」と仰った方だということです。そのようなお方が、このパフォーマンスをされるに至った経緯、空腹の意味を考えたいと思います。
 マルコ福音書には、「いちじくの季節ではなかった」と記されています。いちじくは、3月に緑の実を付け始め、これも食用として農夫がよく食べたそうです。4月になると葉を茂らせるので本日の箇所はこの時期にあたります。5月末〜6月に、緑の実が熟する夏いちじく、その年の新しい枝に付いた実が熟する秋いちじく、と品種によって年に2度収穫の時期があるそうですが、春先に緑の実が付かない年は、いちじくは不作ということです。
 この出来事は主イエスが十字架刑で死なれる数日前に起こりました。主イエスは、御自身が死んで復活を成し遂げる前に弟子たちと一緒にいて教える時間がほとんど残っていないことを知っておられました。このいちじくの木は、遠くから見ても目立つほど、葉を茂らせていました。いちじくが熟する季節ではないので、熟した実がないのは当然ですが、主イエスが期待したのは、農夫たちが食用にする緑の実だったと考えると、それさえ無い木は実を結べないということかと思います。 「実を結んでほしい。」 これが、すべての人の救いのために、主イエスの覚えられる空腹、十字架の上で「渇く」と言われた飢えなのではないでしょうか。実を結ばないイスラエルへの警告として解釈されるこの聖書箇所は、わたしたちにも、「葉ばかり目立つほど繁っているのに、緑の実さえない、そんな信仰生活を送っていませんか?」と語りかけているように思います。今はまだ熟していなくても、せめて緑の実を持つ信仰生活、教会生活を送り、主イエスの空腹、飢え渇きに応えたいと願います。

(牧師・間村史子) 

20240515祈祷会

マタイによる福音書21章12~17節

(新共同訳  新約40 頁)


賛美  ♪ 430 しずけき祈りの


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 5月19日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「わたしの家は、祈りの家」

イザヤ書56章7節に、「わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら、わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」と記されています。マタイによる福音書21章13節は、イザヤ書のこの部分を引用していますが、「すべての民の」のフレーズが省略されています。すべての民の祈りの家と呼ばれる所に神を信じる人たちは招かれ、尽きることのない喜びを味わうことができるのは、とてつもない恵みです。そのような場所で商売をすることを、主イエスはお許しになりませんでした。
宮清めと呼ばれる、この主イエスの行いは、神殿の秩序を否定する暴力と受けとめられ、多くの人々を敵に回し、十字架刑が決定的なものとなりました。しかし、この出来事によって、境内で、目の見えない人たちや足の不自由な人たちが寄って来て、主イエスが彼らを癒されるという新しい展開が起こりました。当時、目の見えない人や足の不自由な人は、神に呪われた者と見られ、神殿に居場所がありませんでした。強盗の巣となっていた空間が、弱く小さくされた人たちが安心して入って来られる所へと変えられました。
祭司長たちや律法学者たちは、子どもたちまで「ダビデの子にホサナ」と叫ぶのを見て腹を立て、神を礼拝する神殿で人間が賛美されていることに抗議の気持ちを込めて主イエスに質問します。主イエスは、詩編8編2~3節を引用して、「あなたがたは読んだことがないのですか」と逆に質問しました。小さな子どもたちの口が、いかに力ある敵をも静めることができるというダビデの告白です。常識で凝り固まりがちな大人よりも、幼子や乳飲み子の方が神の御業に感動して、素直に口に出すことができるのかもしれません。主に拠り頼む弱い存在を尊ばれ、護ってくださる主イエスに賛美と感謝を捧げましょう。

(牧師・間村史子) 

20240508祈祷会

マタイによる福音書21章1~11節

(新共同訳  新約39 頁)


賛美  ♪ わたしたちはろばの子


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 5月12日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「わたしたちはろばの子」

 札幌教会での研修中に、「わたしたちはろばの子」という讃美歌に出会いました。付属の幼稚園児が元気に歌っている姿が今も思い出され笑顔になりつつ、いつか、宇美教会でも子どもたちがこの讃美歌を歌う元気な声が聞こえる日が来ますようにと祈っています。
「わたしたちは ろばの子です。馬のように速く走れない。ライオンのような力なんかない。ただのちっぽけな ろばの子です。だけどあなた知っていますか。ろばが主のお役に立ったこと。イエスさまを背中にお乗せして、エルサレムにお連れしたことを。走れなくても 強くなくても、いつもイエスさまがいてくれます。わたしたちは ろばの子です。神さまのために 神さまのために はたらきます♪」という歌詞です。
 神の御計画は不思議で不可解なものだなぁと思います。どうして、ろばなのだろう、しかも子どものろば…預言者がそのように預言したとか、ろばが平和の象徴だと聞いても、ピンとこないような気がします。それに、まだだれも乗ったことのない子ろばのデビューが、はじめて乗せる人が主イエスであり、そして大勢の人の前を歩くとは何とも大変だと思います。弟子たちも不思議に思ったでしょうか。それでも「主がお入り用」なのであれば、そこには人間の理解を超越した主の御計画があることを覚えます。御心によってわたしたち一人ひとりに命が与えられ、生かされ、この存在自体が、子ろばのように用いられていることを信じます。
 群衆は、「ホサナ」(どうか、救ってください)と叫んで、主イエスを大歓迎しました。しかし、群衆は、本当の救いの意味を理解せず、人間的な権力を主イエスに求めていました。わたしたちを救うためにへりくだり、十字架刑で死なれ、平和を与えてくださった主の愛を聖書から聴くことができる恵みを感謝します。目的を持って造られた一人ひとりの命が大切にされる世の中になりますように。子ろばのように豊かに用いられますように。 

(牧師・間村史子) 

20240501祈祷会

マタイによる福音書20章17~28節

(新共同訳  新約39 頁)


賛美  ♪ 298 十字架の影に


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 5月5日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「何をしてほしいのか?」

  一行がエリコの町を出て、大勢の群衆がイエスに従う場面がルカによる福音書にも記されていますが、盲人が道端に座って物乞いをしていたことが書かれています。群衆が通っていくのを耳にした盲人が、「いったい何事ですか」と尋ねると、ある人が、「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせました。当時は名字がなく、イエスという名前のユダヤ人が大勢いたので、生まれ故郷を付けてナザレのイエスと呼ばれる中、この盲人たちは、「主よ、ダビデの子よ(ルカ福音書では、ダビデの子イエスよ)」と叫びます。ダビデ王の父エッサイの家系からメシア、救い主が生まれると信じられていた時代に、ナザレのイエスではなく、主よ、ダビデの子イエスよと呼びかけることは、神を信頼し、救いを願う信仰告白であると思います。
  主イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われました。この問いは二人の信仰を引き出します。二人は金銭がほしいとは願わず、目を開けてほしいと願いました。そんなこと出来るはずがないと思っていたら出てこない言葉ではないでしょうか。
  主イエスがかわいそうに思って、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従いついて行きました。目の癒しの先には、主イエスと共にエルサレムに上り十字架で処刑される神を目撃するという目的、神の御計画があったことを覚えます。
  わたしは、時々、自分の必要が何であるか、わたしは何をしてほしいのか…?自分自身がしっかり分かっていないのではないかと思う時があります。分かったとして、その必要を満たしてくださる方に、この盲人たちのように心から叫んでいるだろうか。その方なら必ず満たすことができるという確信が与えられているだろうか。十字架に向かわれる主イエスに出会い心の目が開かれる大切さを思いながら御言葉を頂きました。「何をしてほしいのか」という主イエスの御声に、わたしたちは何とこたえるでしょうか。 

(牧師・間村史子) 

20240424祈祷会

マタイによる福音書20章17~28節

(新共同訳  新約38 頁)


賛美  ♪ 73 善き力にわれ囲まれ


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 4月28日主日礼拝のため
(証し:松下靖子姉) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「偉くなること、いちばん上になることとは・・・?」

エルサレムへ上って行く途中、主イエスは十二人の弟子だけを呼び寄せて、はっきりとした詳細な描写で、これから向かう十字架への受難の道を明らかにされました。三度目の受難予告です。三度も聞いたのに、弟子たちはまだエルサレムで何が起こるのか理解しておらず、その直後に、ゼベダイの息子ヤコブとヨハネの母が、その二人の息子と一緒に主イエスのところに来て、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と願ったことが記されています。マルコ福音書では、ヤコブとヨハネの本人が願い出ていますが、マタイは十二弟子達の名誉を守るために、申出者を本人から母親に変えたことが想像されます。
主イエスが彼らに「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」と尋ねると、彼らは即座に「飲めます」と答えました。彼らには、主イエスがこれから飲もうとしている杯が「十字架の死」であることが理解できていませんでした。そのような状態の弟子たちなので、ヤコブとヨハネの抜け駆けを憤慨して、弟子の中で誰が特権を受けるか、誰が偉いかという議論になってしまいます。主イエスの目には愚かなことに映ったでしょうが、これは教会の中でも起こり得ることかと思います。弟子たちは、主イエスがエルサレムで王になられ、その時は自分たちも高い地位につけると思っています。人に評価され、賞賛されることは心地よいもので、わたしたち教会も、いつもそのような誘惑があることを忘れないでいたいと思います。  
上に立つ人は、周りの人が抱えている痛みや苦しみ、悲しみに共感する主イエスの姿勢を見倣う必要があります。主イエスが、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように、リーダーたちが皆に仕え、皆の僕になることができるよう、聖霊の導きを求め祈ってまいりましょう。

(牧師・間村史子) 

20240417祈祷会

マタイによる福音書20章1~16節

(新共同訳  新約38 頁)


賛美  ♪ 523 主われを愛す


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 4月21日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「何に関心がありますか?」


天の国がどのようにたとえられるか、主イエスがされたたとえ話は、そんなにややこしい話ではありません。人を雇って給料を払ったというシンプルな話です。それなのに、どうも素直に聞くことができない…それは、神が関心を持って力を注いでおられることに今一ピンときていないからではないでしょうか。雇う側の立場で、従業員に何を求めるかを考えてみたとき、能力、体力、根性、見た目、向上心、年齢…など、さまざまなことが思い浮かびますが、本日の聖書箇所のたとえ話に出てくる主人は、そういったことに関心がないようです。勤務時間、成果、貢献度、利益には目を向けていません。この主人が力点を置くところが、効率を求める現代社会とそぐわず、割に合わないと感じるモヤモヤが生み出されるように思います。

 この主人の関心は、夜明けからの仕事にあぶれて、今日一日の生きる糧が与えられるのか不安を持ちながら広場に立っている人々にあるようです。9時、12時、15時、17時と何度も広場に足を運び、すべての人を自分のぶどう園に連れて行きたい、そう思う主人の心は、まさに神の愛であり、天の国のたとえだと言えると思います。

 さまざまな人々が、この広場で、この主人と出会いました。朝一で仕事が見つかった人々はラッキーな立場にいました。一日過ごせるという安心感を手に入れたのです。時間が立つにつれ、「だれも雇ってくれないのです。」という不安は増すと思います。夜明けから17時まで広場で雇ってくれる主人を待っていた人にも仕事が与えられたのは、本来、喜ばしい出来事です。しかし、夜明けから働いた人にとっては、不公平だと文句を言いたくなる、その気持ちは誰もがよく分かることだとも思います。主人の答えは、「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。」でした。すべての人を救いたい。神が一番、関心を持っておられることに、わたしたちも心を向けて、無条件の恵みを共に受け取りましょう。 

(牧師・間村史子) 

20240410祈祷会

マタイによる福音書19章16~30節

(新共同訳  新約37 頁)


賛美  ♪431 いつくしみ深き


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*礼拝、みことば、祈り、賛美、対話があふれる教会でありますように。
*子どもたちの笑い声があふれる教会となりますように。
*身近な人から平和が拡がる、教会がそのような共同体でありますように。

【主な祈祷課題】

① 4月14日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

 
【祈祷会ショートメッセージ】 

「永遠の命を得るために、わたしたちに出来ることは何でしょうか?」

  「永遠の命」について、律法に明記されていないということで、死後の生はない、永遠の命の概念を受け入れないサドカイ派というユダヤ教の一派がありましたが、主イエスの時代までに、多くのユダヤ人は死後の世界を信じるようになっていました。主イエスの十字架の後の世代を生きるわたしたちには、主の復活の命に与る希望が与えられていて感謝ですが、本日の聖書箇所の金持ちの青年は、永遠の命の保証が欲しかったのだろうと思います。
 永遠の命を得るために、この青年は幼い頃から律法をしっかりと守り、真面目に生きてきたのでしょうが、律法を守る動機、良い行いは神の愛にあることに気づく必要がありました。富自体は決して永遠の命への道を妨げるものではないですし、大切なものだと思いますが、執着して手放せなくなってしまうと、富が神となってしまい、当たり前のことですが、神でない富は、救いも永遠の命も、わたしたちに与えることはできません。物質的繁栄を神の祝福のしるし、富の所有は徳であると考えていた当時のユダヤ人たちにとって、富める者が神の国に入ることが、らくだが針の穴を通るより難しいと指摘されたことは驚きであったと思います。それでは一体誰が救われるのだろうかと尋ねる弟子たちに、主イエスは、人は誰でも富への願望、執着を持つものだから、自分の救いのために何も出来ないが、神にはすべてのことが可能であることを教えられます。すべてを捨てて主イエスに従ったという自負に溢れたペトロの質問に、ペトロの得意顔が思い浮かぶ気がしますが、報酬の原理は、この世の価値観とは全く違うものであり、人間的な判断は覆されることが30節に記されています。
「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。(マタイ6:21)」という主イエスの御言葉を心に刻み、神に従うことの最高の報酬、祝福は、神の永遠の命を受け継ぐという何ものにも代えがたい富であることを覚える者とされますように。 

(牧師・間村史子) 

20240403祈祷会

マタイによる福音書19章13~15節

(新共同訳  新約37 頁)


賛美  ♪104 雨を降り注ぎ


【宇美教会 今年度の教会の祈り】

*子どもたちとの出会いのために。 
*地域の方がたとの出会いのために。

*すべては主イエス・キリストの栄光のために。

【主な祈祷課題】

① 4月7日主日礼拝のため
(メッセージ:間村史子牧師) 

② 全国の福音宣教の働きのため 

③ 被災地のため 世界の平和のため 

④ 教会学校の活性化のため
⑤ 粕屋教会、篠栗教会のため 

⑥ 心身の病の中にある方がたの癒しのため 

⑦ 困窮しておられる方がたのサポートのため 

⑧ 為政者、医療従事者の方がたのため 

⑨ 求道者、新来者、学生の方がたのため 

⑩ オープンカフェ・工作会の継続のため 

⑪ 新しい命と家族の生活、新婚生活のため


※週報をお持ちの方は、週報に記載されている祈りのリクエストと近況報告についても合わせてお祈りください。

※聖書日課のページに 本日の聖書箇所本文を記載しています。

「御国はどんな人たちの国?」
今日の箇所は、子らを祝福してもらうため、子どもを連れてきた彼らを、弟子達が叱ってしまう場面から始まります。マタイ18章を振り返ると、弟子たちは、天の御国では、誰が1番偉いのか?とイエス様に尋ねています。その問いにイエス様は小さい子どもを呼び寄せて「この子どものように、自分を低くする者が天の御国で1番偉い人だと答えておられます(18:4)。
なのにどうして彼らを叱ったのでしょうか?何か自分達にとって都合が悪かったのでしょうか?大人たちが子ども達より優先だと思ったのでしょうか?彼らを叱った弟子達にイエス様は「子ども達を許してやりなさい。邪魔をしてはいけない」と憤って言われます(マルコ10:14)。「御国はこのような者たちの国なのです。」と言われ子らの頭に手を置いて祝福されました。
私は、札幌教会で子どもタイムの奉仕をしています。近所の子も含め2才から中学生の子らが礼拝前に集い、賛美、お祈り、絵本、聖書のお話、工作、ゲームなど工夫しながら40分程楽しい時間を過ごしています。子供たちは大人の思うようには行動しません。話の途中で質問してくる子、いなくなる子、遊び出す子泣く子など様々です。大人の都合通りにはなりません。確かに「静かに聞いて〜」と叱りそうになる時はあります。そんな時 子どもの自由さを奪ってはいけないと思い出します。礼拝の中でも 子どもたちは会堂で自由に過ごしています。一緒に礼拝する時中で、子ども達は、大人たちに受け入れられていることを感じ大切に思っていてくれることを知りながら成長しているように思います。自分たちが愛されていると思いながら生きれるのは 大人も子どもも大事なことです。イエス様が言われた「御国はこのような者たちの国」とは、自分を低くする者です。へりくだった心を持ち合い、高ぶったり、区別したりせずに互いを大切にしながら御国への道を歩みたいと思うのです。

 (札幌教会・横山由美)